ボウリングの歴史は、その原型をたどれば、人類発生と同時に存在したと言ってもいいのではないかとわたくしは思うのです。ただ思うだけヨ・・。スポーツを我流で大きく3つのカテゴリーに分けてみる。
[1] 人工的に考案され発達したスポーツ。
[2] アソビや暇つぶしが昇華して完成したスポーツ。
[3] 人間の本能のようなところから派生したスポーツ。


[1] の人工的ってヤツが1番種類は多いのではないか? テニスを下敷きにしてできた卓球。つまりテーブルテニス。イギリスの古いスポーツ、クリケットを参考に考案されたのが野球だ。手でおこなえるサッカーがしたいという、ラクビー校の少年の希望がキッカケとなってラクビーが生まれたらしい。等々・・・。


[2] のアソビや暇つぶしが昇華した種類は、まずゴルフだね。その昔、スコットランドの羊飼いが犬と一緒に羊を追っていた。良く訓練された羊犬であれば全て犬任せ。人は暇でやることがない。仕方ないってんで、持っている杖だか棒で、石ッコロをぶっ叩いていたのよ。そのうちに、羊の腸を丸めてボールにしてウサギの穴に入れていた・・・・それが段々ルール化していってゴルフになったという。テニスもフランスの宮廷の女の子たちの壁打ち遊びがイギリスに渡ってルールができてスポーツ化したという。


[3] の本能ってヤツは何だ? 食うために動物を殴り倒してその肉を食らっていたのかも。それがボクシング。組み伏せたのがレスリング。泳いだのが水泳だ。


さてここで問題。ボウリングは1か2か3か? 2って答える人が多い。しかし正解は3である。 最後にINGのつくスポーツは全部ここにはいる。つまりその原型をたどれば最古のスポーツなのです。Hunting、Boxing、Wresring、Swimming、そして我らのBowling・・・・。これらINGスポーツ群は単純だ。単純だから飽きる。単純さ故の複雑性、その辺が分かってくるとこれがハマッちゃう。


1902年、ロンドン大学の考古学の名誉教授 "サー・フランダース・ピートリー先生" が(日本の考古学に一番の影響を与えた人)エジプトの古墳を発掘していたら、我々が行っているボウリングのボールとピンに近いものが発見されたという。調べてみると紀元前3200年前のものだそうな(BC5200年説あり)。そのボールとピンはいまでもロンドン博物館に展示されているという。嘘だと思うなら、今からロンドンにちょっと行って見てきてみーな。古代エジプトに端を発したボウリングは、北イタリアを経てヨーロッパ各地に伝わっていく。イタリアでは"ポッチ(ボッチ)" になり、"フランスではブール(ペタンク)" になる。"ドイツではナインピンズのシェーレでありボーレ"であり、"クラシック(アサファルト)" だ。 1626年オランダ人のアメリカ大陸移住にともない、ナインピンがニューヨークにもたらされる。1820年頃には、アメリカ全土にナインピンズは広がる。しかしこれが賭博化する。この年代は西部劇でお馴染み、騎兵隊とインディアンとの戦いの時代だ。人々の関心は西へ西へとなびいている。こんな開拓時代、ボウリング賭博でうつつを抜かすとは何事ぞってんで禁止令が発令される。


ここにジョセフ・サムという男がいた。サムはボウリングギャンブラーであった。ボウリングで一家を支えていた。女房、子供を養っていた。それを法律で禁止するとは何事ぞ!「オレは馬に乗れば落っこっちゃうし、拳銃撃てばテメエの足撃っちゃう。ボウリング以外能がない。それなのにボウリングを禁止するとは何事ぞ!一家心中させる気か!」サムは悩んだ。悩み続けた。月日がたったある日、サムは膝を叩く。小躍りする。 「そうだ!法律で禁じられているのは9本のボウリングだ。10本だったら法律にはひっかかんねー」ってんで、ピンを1本増やし、並べ方を変えてテンピンボウリングを編み出したという(ABC説)。わたくしが今日ここにあるのも、スーパーボウルを担当できるのも、元を正せばこのジョセフ・サム様のおかげと日夜拝んでいる次第なのであります。


テンピンが生まれたのが、正確にいつのことかが分からない。1820〜1830年頃という説。1940年後半という説、とあるのだけれど、だいたいジョセフ・サム説そのものがおかしくもあるのです。イギリスのイプスウイッチという町で、1700年代にテンピンが行われていたという絵画をわたくしは発見している。テンピンよお前もまたイギリスなのか?という気持ちでした。裏付け証拠がありませんので何とも言えませんのですが、アメリカに於いてもABC説と、モト・ルビー説とに分かれているのです。


1875年に、アメリカに於いてナショナル・ボウリング・リーグという組織が27人の言い出しっぺにより結成され、ピンの高さ17インチ(いまより2インチ高かった)、レーンの長さ60フィートと設定される。独創力欠如のため程なく解体。1985年アメリカン・ボウリング・コングレス[ABC]が設立されて、現在のルールを創ったのであります。このABCの総会は、現存するベートーベンホールで行われたのですが、特筆すべきは、このとき300点パーフェクトシステムが設定されたということであります。それまでは200点パーフェクトシステムが主流を占めていたのです。当時のインテリトップボウラーのルイス・スティーンが300点パーフェクト説を説き廻り、わずかの差で勝ち取ったと言うことだったのであります。ワイスコフ著 すみ光保訳[ボウリング"ぎょうせい出版" ]をご参照あれ。これを言いたかったのであります。


さて、まもなく新年を迎えます。みなさまにとりまして2004年は最高な年でありますように。 そして、この素敵なスポーツ、ボウリングがもっともっと地域の方々に愛されるよう、わたくしどもも努力いたします・・・ 良いお年を!


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すみ光保

すみ光保(すみみつやす)

■1935年東京都生まれ。株式会社スミ代表取締役。1967年にライセンスNo.4第1期生プロボウラーとしてデビューする。ボウリングインストラクターライセンスはマスター。
主な著作は、子供とボウリング(ぎょうせい出版)、ボウリング(ぎょうせい出版)、VJボウリング(日本テレビ出版)、NBCJインストラクターマニュアル、ブランズウィック発行マニュアルなど多数。

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