わたくしの氏名は戸籍上では「鷲見光保」と書きます。
誰もが鷲見(スミ)をスミと読んではくれず鷲見(ワシミ)さんです。  
鷲見(スミ)姓はもとはと言えば岐阜の姓であり、わたくしの家系も4代までは東京でしたが、それ以前は岐阜であったようです。  
鷲見(スミ)神社というのが岐阜にあるそうで、年に1度鷲見(スミ)家の集いという集まりの案内が来ていたのですが、興味がありませんので1度も顔をだしたことがなく、このごろは案内も来なくなりました。

このたび岐阜の隣の名古屋に住むようになり、岐阜に近い名古屋の方々はスミと読んでくださると思ったのですが、やはり駄目でワシミさんでした。住んでいるマンションのお隣は同性です。
いずれにいたしましても鷲見姓は少数派のようです。  

テレビの仕事を始めた昔、テロップには本名で鷲見光保と出ていたのですが、いちいち解説するのが面倒になり、以後すみ光保と名字をひらがな表示にして現在に至っております。
名刺は50年来すみ光保。

その頃叔父貴に芸名を付けてくれるように頼んだところ、 紫(むらさき)光(ひかる)・・これには困ってゴメンナサイしました。

 名前の光保ですが、母が生前家系を調べたところ、スミイマサカノカミ という先祖を頂点として、1番偉かったのが光保コウボというお坊さんだったそうで、そこからわたくしの名前が付けられたということ。
わたくしは近々あの世に旅立つことになっておりますが、その名前の甲斐がありまして、おわかりのように本日までわたくしは常に光(ヒカリ)を保って生きてきたとても優れた人格者に成長して現在に至っております。  

とくればいいのですが、光は保っておらず、ひたすら食いしん坊と女性(おんな)を追いかけるだけの人生でした。
食いしん坊も実現すればうれしいのですが、薬の影響で舌の感覚もおかしくなり意に沿わない状態が続いております。
 薬も約16種類、量にして毎日約22錠というものすごい数を飲下している有様です。
それと抗がん剤がほぼ月1回、この副作用がたまらない。
頭髪はなくなるし、発熱、感染症の危険性。抗がん剤のたびに約9日間の入院を繰り返しています。
しかし、入院もまた楽しからずやです。全員素晴らしい看護師さん。
そうして担当の医師。ホスピタリティーの精神が浸透している最高の病院です。  
名は体(たい)を表すなどというようですが、残念ながらわたくしの場合、少しも体に現れていませんしむしろ名を裏切っているようです。
いい加減男としてはまあいいのですこれで。  ゴメンナサイだけは言っておきたい。  

長男の名が樹里加、今でこそ樹里という名前は多いのですが、50年前樹里と命名する親は皆無でした。
次男が樹根。樹(き)の里に帰ろうよ。樹(き)の根っこになろうよです。  
樹里は、寿利さんというわたくしの尊敬する演出家がいまして、その方の名を意識もしました。
樹根はジャン・ジュネというフランスの実存主義作家、花のノートルダムとか、泥棒日記などで注目を集めた泥棒です。泥棒の名前から命名するてえのもまたこれ一興です。

娘は1人、理砂と言います。どうせ昔の忘れられないオンナからとったのでしょう。
と本人にいわれたのですがご明察であります。  
幼稚園時代、母が手づくりしていたフエルトでつくった動物のアップリケを毎日迎えに来てくれていた同級生の関心を買いたくプレゼントしたものでした。  
15歳のとき神田神保町のYMCA演劇部で5歳年上の20歳のリサという女性に恋したのです。
彼女は青砥に住んでいまして、わたくしは当時巣鴨。青砥まで送っていくと、また巣鴨まで送り返してくれる。
そんなことを週2-3回繰り返していたものでした。いわばこれが初恋なのかも知れません。

どおせ惚れた女の名前からだったのでしょうという娘リサの明察どおりなのですが、リサには秘密です。
リサは理砂と変わった字を使ったのですが、砂のように沢山理性が詰まったオンナであってほしいとの屁理屈です。  
2、3年前か小郡の支配人に子供ができました。名前が海乃助。親は勝手に名前つけますが、付けられた方はどうなんでしょう。喜ぶ場合もあるでしょうが、悩むケースも意外に多いい。海乃助はどうだろう。
 
息子樹根に聞いたのですが、きらきらネームというのがあるそうですね。
例えば美人という名前をつけておいて、モナリサと読ませるとか・・・  

名前なんか独りよがりのところがあってそれが面白くもあり、センスを問われるところでもあるようです。  

私の好きな氏名に 青島二郎 という友人のペンネームがあります。何故この名前が好きなのでしょうか? 
二郎という表現がフランス語的ニュアンスを秘めているからでしょうか。
そういえばイベット・ジローというシャンソン歌手がいましたね。
しかし、次郎であってもいけないし、二六でも駄目なのは何故かわからない。。  

さてわたくしが愛してきた女性の名前を何人か記してみますと、紀久子、啓子、弘子、与志子、など全員平凡な日本的名前です。
この方々含めてそれぞれ大変ご迷惑をかけてきました。
この場を借りて深くお詫び申し上げます。  
現在わたくしが愛している3人の女性は、和子と純子と恭子。

この3人はわたくしの人生最後に想う素敵な最後のオンナです。

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投稿者プロフィール

すみ光保
すみ光保
1935年11月8日、東京都生まれ。1967年1月にライセンスNo.4の第1期生プロボウラーとしてデビューする。ボウリングインストラクターライセンスはマスター。プロボウリング協会創設メンバーでもあり、プロボウリング協会に貢献した人物。2014年4月逝去。株式会社スミ、初代代表取締役。

主な著作は、子供とボウリング(ぎょうせい出版)、ボウリング(ぎょうせい出版)、ボウリング(日本テレビ出版)、NBCJインストラクターマニュアル、ブランズウィック発行マニュアルなど多数。