男は恋をすると芸術っぽくなるのはわたくしだけなのでしょうか。
ジャズばかり聴いていたわたくしは、恋をすると何故か急にクラシック音楽に移行したり、難しい哲学書を読みはじめたり、急に絵を描き始めたりしました。

はじめて恋をした時、いままで全く興味が無かったルオー展に彼女を誘ったりしたものでした。
自分の趣味性だとか、インテリジェント、世俗的に陥っていないところをみせて関心を買おうとしていたのでしょうか?

絵の世界でわたくしは、はじめホアン・ミロのプリミティーブな色と形にに引かれました。
しかしすぐにシャガールに眼がいき、モディリアーニ移っていったようです。
そうしてコクトーとピカソのデッサン。無論アンドレ・ブルトンやサルバルド・ダリ等に大きく刺激を受けたものでした。  

例えば 『解剖台の上のミシンとこうもり傘の偶然の出会いのように美しい』 というロートレアモンの詩。
この詩にはショックを受けました。唖然としました。まいりました。大きな刺激でした。  

これはたしかダダイズム宣言のなかでしたか・・・?  
シャガールの青。そして幻想。モディリアーニのクビ長の女性の美しさ。ダリのゆがんだ時間。  
何故かゴッホだとかモネなどには全く興味がわきませんでしたし古典にも眼がいかなかった。いまだにそうです。  

ダダイズムやシュールリアリズムに大きく影響を受けたのだと思います。  
絵に興味をもったのは、二十歳代に友人の画家山内勝が私の詩集にパステルで挿絵を描いてくれてからでした。  
わたくしは絵画オンチで、デッサンすれば最悪どころか全くカタチにならなかったし、どこかの大学生のように鶏を1本足では描きませんでしたが、まったく訳のわからない代物になっていました。
したがって写実は避けるというより描けない。いまにして思えば基本を勉強しておけばよかったと悔やんでいます。

楽器も同じですね。ピアノをやっておけばよかった。ギターでもいい。  
最初のワイフとの恋人時代のはじめ、カッコつけていきたくもないルオー展にこちらから誘って出かけたものでした。
そうして知ったかぶりして半分模倣でルオー批評を繰り広げました。
しかし、それがきっかけとなり絵画に目が向くようになり、山内勝のパステルでの挿絵がとても気に入り、以後私も見よう見真似でパステルを使うようになりました。
パステルとボールペンとのオーバーラップ作業でした。

過去形で記すのは、現在は全くといって描いていないからです。
少し再開したい気分になっています。    

初めは山内の模倣でした。そうしてシャガールの影響を受け、それからコクトーやピカソのデッサンに引かれて行きました。
はじめはミロだったのですがすぐに卒業、いろいろな絵を見てそれぞれに影響を受けたものでした。
風景や静物など写実には目がいきませんでした。  
シャガールのちょっとしたカットの模倣をながい間手紙の封印に利用したりしました。

カンジンスキーのコンポジションも大好きで今でも自部屋に飾ってあります。  
わたくしは無意識に絵も音楽としてとらえていたような気がしています。

シャガ―ルもモディリアーニも音楽的だと思いませんか・・・例えば、ピカソの“ゲルニカ”大きな悲劇が描かれているのに、素晴らしいく音楽的だと思うのです。
大きなスペースがあれば、飾りたいと思います。
例えばムンクの“叫び”はどこかに掛けておきたいと思うのは何故でしょうか。自分でも解らない。  

人はよく抽象画をみてこれは何を描いているのだろうなどと考えるようですが、音楽を聴いてこれは何を現わしてしているのだろうとは具体的には求めていないと思うのですがどうなのでしょうか。  

それが絵になると抽象画をみてこれは何だと疑問を呈します。ここが間違っている気がするのです。  
写真は基本的に写実、リアリズムの世界のようですが、友人のカメラマンの花の抽象写真を買わされて部屋に掛けてあります。わたくしは写実より抽象を求めているようです。 

従兄はカメラが趣味で色々な賞をとるぐらい優れた腕を持っているのですが、ほぼ人間関連のコントラストです。
それが素晴らしい。お爺ちゃんと孫だったり、美しい女性だったり、変わった風景だったり。  
しかし何故か写真を部屋に飾りたいとは思わない。写実過ぎるからでしょうか。

友人の花の抽象写真は全くの例外です。  
もし写真を飾るのでしたらファッション関連がいいと思いますね。
「隠しながらみせて、見せながら隠す」このモード特有のスタンスがエロティックであり、ここにファッション特有の面白さがあるようです。  
自室に飾りたいと思われるような自分の絵、作品を描けたら嬉しいのですが、描けるでしょうか。絶望的です。
でも近々チャレンジしたいと思います。

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投稿者プロフィール

すみ光保
すみ光保
1935年11月8日、東京都生まれ。1967年1月にライセンスNo.4の第1期生プロボウラーとしてデビューする。ボウリングインストラクターライセンスはマスター。プロボウリング協会創設メンバーでもあり、プロボウリング協会に貢献した人物。2014年4月逝去。株式会社スミ、初代代表取締役。

主な著作は、子供とボウリング(ぎょうせい出版)、ボウリング(ぎょうせい出版)、ボウリング(日本テレビ出版)、NBCJインストラクターマニュアル、ブランズウィック発行マニュアルなど多数。