78年も生きて、なおかつ入院などしていると人生振り返りしかなくなるようで怖いのですが、まあいいやそれに習って我が車の遍歴を振り返って見よう。

初めて免許証をとったのが昭和32年21歳の時でした。  
嬉しくて免許証を手にしたその足で新宿の松竹レンタカーでこともあろうにキャデラックを借りたのです。

松竹レンタカーの社長は山本のおやじとよんでいた力道山の第1秘書的存在の人でした。
そんな関係からたとえばユセフ・トルコなど当時の1流レスラーと友達になったものでした。
毎日のようにサウナに行きました。  

さて、借りたキャディラックで当時恋人だった、最初のワイフを世田谷の東松原まで迎えに行ったのです。
当時はとても狭い水道道路でくろがねの3輪トラックにぶつけられました。
こっちは停止しているのに・・・ さんざんなスタートでした。

はじめに手に入れた車はオースチン。そして次がヒルマン。
その頃だったでしょうか日産が初めてのスポーツカー3シーターのフエレディZを売り出しました。後部座席が横座り。  

本山に最高のお客さまご夫婦、ご主人がフェアレディZマニアで、すでに骨董的価値のでているZを2台も保有なさっておられる。そうしてこの度新たなZ2シーターオープンを購入された。
3月納車とのこと。乗せてくださる約束をいただいております。わたくしもZは2台乗りましたが楽しみです。  

わたくしの3代目の車はいすゞベレット1600GTでした。とても気に入って2台続けて買いました。

次がイタリア人の最高のデザイン車いすゞ117クーペ。あまり走る車ではなかったけれど最高に美しい車でした。
このクルルまのデザインには惚れ込んだものでした。  

クラウン、セドリックと乗り継ぎ、目先を変えようてんで、米車ムスタングGTの中古を入手、パワーハンドルは慣れると楽でしたが、あまりなじめない。
いっそのことバカでかい車ということでリンカーン

さて 誠に申しわけないのですが  疲労骨折の為、続きを書くのは少し後になってしまいました。

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投稿者プロフィール

すみ光保
すみ光保
1935年11月8日、東京都生まれ。1967年1月にライセンスNo.4の第1期生プロボウラーとしてデビューする。ボウリングインストラクターライセンスはマスター。プロボウリング協会創設メンバーでもあり、プロボウリング協会に貢献した人物。2014年4月逝去。株式会社スミ、初代代表取締役。

主な著作は、子供とボウリング(ぎょうせい出版)、ボウリング(ぎょうせい出版)、ボウリング(日本テレビ出版)、NBCJインストラクターマニュアル、ブランズウィック発行マニュアルなど多数。