間もなく終りますね今年も。よく78年間も生きてこられた。
精神的には30歳代のような気がしているけど、身体は90歳を越えています。  

さて、来年もテレビで野球を楽しめるか? それまでオレは生きていられるだろうか?  
毎年4月、プロ野球公式戦が放映されると、余命いくばくもないというのに‘今年も何とかここまで保った’
と思いながらテレビを楽しみます。  さて来年はどうか、果たしてそれまで保つか?  

昨年わたくしの誕生日に皆さまがお祝いしてくださいました。まさにサプライズでした。
残念ながらそのあとすぐに入院。ちょうど1年経過したいま、抗がん剤が良く効きまして現在腫瘍も無くなり。
禿げになった頭も、徐々にまた毛が生えてきています。今年は病院での誕生日。  
薬の副作用で肺と腎臓、肝臓に影響を及ぼしてはいますが、おかげさまで順調に元気をとりもどしています。
しかし残念ながら今度は肺の疾患で呼吸器内科に現在入院しております。
もともと肺はタバコが原因でいかれていたのですが・・・   

皆さま煙草だけは辞めましょう。いまや喫煙は病気です。
病院には喫煙診療科があるぐらいです。保険もききます。    

物心ついた時、興味をもったスポーツは野球でした。
草野球に夢中な父親の影響が大きかった。
父が逝くまでの6年間、つまりわたくしが6歳まで毎日のように隣りの原っぱで寒さに身をちじめたり、汗をふきふき無理やり草野球を見せられたものでした。
住まいは慶応義塾の近くでしたが、何故か父親は大の早稲田フアンであり巨人フアン。
その理由が分からない。いつの間にかわたくしも早稲田フアンであり巨人フアンになっていました。 

小学生の頃、巨人の監督は中島冶康と言う人で5位ぐらいに低迷していました。
球場で中島引っ込めと大人に媚びてヤジっていた自分を思い出します。恥ずかしい嫌な思い出です。  

筈見純という同年の役者仲間が軟式野球の素晴らしいピッチャーで、球が速すぎて受け手がいなかった。
わたくしはもっぱら筈見のボールを受けるキャッチャー役でした。父親もキャッチャーでした。  
小学5年の時、偶然ショートバンドをうまく補球したところ、すごいという訳で同級生からキャッチャーもしくはファーストを賛成多数で推薦されたり、まぐれで打ったボールが校舎の3階の窓ガラスを突き破り、これまたすごいという訳で4番バッター。  
ちなみに小学校は現在でも戦前の形態を残している明治学院隣の白金小学校。  

中学からはテニスです。いまはテニスはできませんが見るのは大好きです。  
わたくしは何故かサッカーが好きになれない。ながい試合時間で1~2点をを争う。
しかも手を使ってはいけない。ただ走っているだけ。かったるいことおびただしい。
しかし足技はすごいですね。

サッカーと比べたらラクビーの方がとてつもなく面白いし、野球は間延びするけれど、ピッチャーとバッターの駆け引き、守りの動き、走攻守これがたまらなく面白い。  
ラグビーといえば新日鉄の松尾雄治を思いだします。
松尾のオヤジは成城大学のバスケのコーチをやっていました。ワイフが学生時代バスケで松尾オヤジのコーチを受けていたとのこと。  

そのオヤジのエピソードのひとつに、松尾が勉強していると「てめえ勉強なんかしてやがってなんてことだバカヤロー、もっとラグビーの練習しろ」って怒られたという。
勉強すると怒る親 なんて聞いたことない。  

わたくしは東京生まれの東京育ちなのですが、野球ではジャイアンツが大嫌いです。
その理由も以前この駄文シリーズでふれましたのでここでは書きませんが、好きな球団は中日ドラゴンズ。
娘が以前中日のピッチャーと夫婦であったことと、現在名古屋に住んでいるのも手伝って、大の中日フアンです。

しかし、高木監督は嫌いでしたね。ベンチでいつも仏頂面、ニコリともしないで、時々顔を真っ赤にして怒っている。
しかも巨人出だ。  

落合博満を嫌いな人が多いですね。わたくしは落合好きです。江夏豊も好きでしたね。
我が道を行くみたいな自由なスタンスが良い。我儘がいい。最近落合は丸くなってきて面白味が無くなってきていますが。・・・    

テニスではアガシが大好きでした。
テニスはそれまで、だれもが白のユニホームだったのが、アガシがその慣習を破ってジーンズの半パンで公式戦に出場。
男でピアスを付けての試合もアガシが最初だった気がします。
これらはある種の反骨精神だと思うのです。お洒落も一種の反骨精神ですね。  

我が儘なヤツが好きです。とにかく人間1番大切なことは‘自由’です。  
封建的ムラ社会には自由がない。他と同じでないと調和出来ないし、極端に言えば生きていけない。
みんなが田植えをしているのに、自分だけはギターを弾いてはいられない。
みんなに合わせなければならない。でないと村八分になっちゃう。
ギターを弾くヤツを育てようとするスタンスが無い。ひとつの枠でしか考えないし見ない。
そうして膠着していく。多いですねそんな癒着組織が・・・ わが業界にも。  

女らしさ、男らしさというような、らしさの世界も一般的な安住世界。そこには個性がないし、独立性も失われています。  女らしくとは、他の女と同じように、女一般ということであり、そこには創造性も個性もない。  
何故らしさを求めるのでしょうか? みんなと一緒、同じだと安心できるからでしょう。    

そのようなホモジニアス社会から、人間の多様性を認め合うヘテロジニアス社会への意識変革がこれからの時代には益々大切なことになると思います。  
3年ぐらい前、ある地方の経営者の集まりで「ヘテロジニアス自己診断」というタイトルで約3時間の講演を担当しました。
ブランズウイック会でも同様の講演を担当しましたが、それぞれ好評をいただきました。  

もしご希望があれば声をかけてください。ご恩返しです。もうギャラはいただきません。経費のみ。  

ヘテロ自己診断のみならず、インストラクター技術・LTB・リーグセクレタリー・インストラクション接客・など得意な分野であれば1日約3~5時間を限度として担当させていただきます。リハビリが兼ねられます。
12月6日スポルトでインストラクション技術のセミナーを担当します。
東海地区インストラクター研究会主催。プロ協会後援。是非ご参加下さい。参加費1名¥3000。  
本山や小郡でお客様が中心になって、何にかの勉強会を開催するのも面白いですね。

誰もがなにがしかの得意分野をもっておられます。それを出し合って・・・  
また、ただ投げるだけではなく、ボウリングの基礎知識を学ぶチャンスがあっても良いと思うのですが・・・ 
歴史、ルール、組織、用語とその発祥、米国事情、等々。月1回ぐらい希望者だけでやりませんか? 
お金はかからないようにして・・・NPO法人を立ち上げても良いですね。…

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投稿者プロフィール

すみ光保
すみ光保
1935年11月8日、東京都生まれ。1967年1月にライセンスNo.4の第1期生プロボウラーとしてデビューする。ボウリングインストラクターライセンスはマスター。プロボウリング協会創設メンバーでもあり、プロボウリング協会に貢献した人物。2014年4月逝去。株式会社スミ、初代代表取締役。

主な著作は、子供とボウリング(ぎょうせい出版)、ボウリング(ぎょうせい出版)、ボウリング(日本テレビ出版)、NBCJインストラクターマニュアル、ブランズウィック発行マニュアルなど多数。