「オレの若い頃は・・・」などという年寄りの常套句からわたくしも入っていこう。

わたくしの若い頃、遙か約45年ほど前、朝霞のベースキャンプでリーグに夢中だった頃の話しであります。  

我がチームはリードオフが、アベ180前後のキャプテン・カテリーナ  
2番手が170アベの米陸軍大佐  
3番手が大佐の奥さんでアベ99点。  
4番手がわたくしすみ光保で177アベ  
アンカーがPBAメンバーのビル・ホッピープロでアベ204  

チーム名はキャプテンの名前をとって‘カテリーナ’  アベ100にもいかない人と、200を越えるプロとが同じチームで楽しみながら勝ちを目標に食べたり飲んだりしながらの毎週楽しみながらの熱戦。  

それはそうだ、全てのリーグがキャッシュプライズで、40週以上のスケジュールで年間を通してのリーグでは優勝が、ン拾万単位となり、個人でもHGやHS、アベランキングなどかなりの金額となる。

だから真剣なのだが、われわれに映る連中の雰囲気はとにかく楽しんでいる姿でした。  
賞金は結果であり、その過程はとにもかくにも楽しもうという姿勢がいっぱい伝わってきたものです。どうも日本人とアメリカ人とはお金に対する感覚が違うようだし、楽しむというスタンスもまるで違う。  

真似する必要は全くないのですが、見習うところはいまでもおおいにあると思います。ましてやテンピンズはアメリカのものです。    

現状の日本における各センターのリーグを俯瞰してみると、少し間違っているのではないかと思うのです。  
傾向としてどこのセンターもアベレージボウラーだけが固まっていて、初心者やオープン客が寄りつきにくい。
ましてやエチケットを知らない客が同時投球しようものなら、あからさまに嫌な顔をしたり、極端な場合怒鳴ったりしている。自分だってはじめはエチケットなど知らなかったはずなのに。

 200以上のボウラーと、100もいかない初心者が一緒にチームを組んで楽しめるのがボウリングであり、リーグであるはずなのに、同じレベルで固まってしまっているのが現状です。

 東京BC時代からハタBC時代までは、だれもが一緒にリーグを楽しんでいたのに、何故そうなってしまったのか?  
それを考えてみると昭和47年のオイルショックを期してわが業界が変わってしまった結果のような気がするのです。  

経営者がボウリングを学んでこなかった。結果お客さまの言いなりになってきた。
営業的にも最悪の時代でしたので、お客さまは神様ということで何でもござれになっていった。
 ボウリングは1レーン5名入ってのファイブメンリーグが基本なのに、それを知らない我が物顔のお客さまに「レーンが空いているのに5人も詰め込みやがって」などの声に迎合して、せっかくのコミュニケーションゲームであるリーグを失ってしまってきたのです。

全て経営者がボウリングを学ばなかったわれわれの責任。  

飲んだり食べたりしながら行うのがボウリングリーグの本来の姿。ボウリングの特質だ。  

飲食はコミュニケーションを促進させる。  1レーン5人入って3ゲーム投げると約2時間半。

この時間真剣に投げながら、順番待ちの時間、仲間と駄べったり、食べたり飲んだりしながら楽しむものなのです。   
いまやどこに行ってもそれがない。終わるとさっさと帰ってしまう。
自分の記録や、順位にしか興味がない。そうした習慣をつけてしまったのはわれわれ経営サイドの責任です。  

昔はレーンが空いていても、1人で投げていると、フロントが他の1人客を連れてきてご一緒に投げていただけませんか?
などと紹介し合い、友達が増えたものでした。

現状は顔見知りの常連同士でもそれぞれがペアレーンを占領して1人でアメリカンで投げている。昔を知っている古いタイプの人間にはどうも解せない。
大きな楽しみを失っているように見えるのだ。
「いまどきの若い者は・・・」の同義語「いまどきのボウラーは・・・」の常套句になってしまう。  

そんな観点から現状を見ると、
『ボウリングって本当に楽しいのですか?』
とつい聞いてしまいたくなるのです。  

“楽しむ”というと、つい罪悪感に襲われるような、右翼的、軍国的、体育会的価値観がいまだに大きく幅をきかせている。
JPBA然り、プロテストを見てご覧。  
もうそこから抜け出しても良いのではないでしょうか? 
昔を懐かしむのではなく、ボウリングの本質である“コミュニケーション スポーツ”としての本来の姿を取り戻したい。

200以上と100以下が同じチームでHDCPリーグを楽しむ。
これがボウリングだよ。  

お客さまにボウリングの本当の楽しさを伝えること。それがわれわれの責任でもあるのです。

<売り上げをあげようとするのではなく、いかにお客さまを満足させるか>

が今後のマネージメントだと思うのです

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投稿者プロフィール

すみ光保
すみ光保
1935年11月8日、東京都生まれ。1967年1月にライセンスNo.4の第1期生プロボウラーとしてデビューする。ボウリングインストラクターライセンスはマスター。プロボウリング協会創設メンバーでもあり、プロボウリング協会に貢献した人物。2014年4月逝去。株式会社スミ、初代代表取締役。

主な著作は、子供とボウリング(ぎょうせい出版)、ボウリング(ぎょうせい出版)、ボウリング(日本テレビ出版)、NBCJインストラクターマニュアル、ブランズウィック発行マニュアルなど多数。