濡れ落ち葉

まあまあの大学を卒業して、まあまあの企業に就職した。働いた・・・・働いた・・・・会社の御ために、女房、子供をまったく省みず働いた。女房、子供になじられれば「馬鹿野郎、誰のためにオレは働いているのだ!そんなことさえわからネーのか!」と一喝してきた。おかげでそこそこの家も建てた、そこそこの別荘までも建てた。ただひたすらに仕事に没頭してきた。趣味といったら、あまり乗りもしていない愛車のマーク2を磨くことと、テレビで野球を見るぐらい。お定まりの、読売ジャイアンツのファンだ。浮気もせず毎日一杯引っかけてほろ酔いでのご帰還だった。帰れば典型的な「オイ!メシ!フロ!ネル!」だけだった。


そうして定年を迎えた。そこそこの退職金も手にした。しかし、何もやることがない。普段は見向きもしなかった女房には、急にベタベタしだしていた。離婚して戻ってきていた娘にも「オレはおまえを愛しているよ!」とばかりにまとわりついた。娘にも、女房にも嫌がられるだけならまだしも、気持ち悪がられた。さらに最悪なのは隣家の飼犬だ。オレが家にいる時、顔も合わさねーのに吠えるのだ。オレが勤めていた時は、吠えることはなかったという。いま、オレは毎日家にいる。ヤツは毎日吠えている。ならまだしも唸る。オレにどんな恨みがあるというのだ。 毎日やることなく家で飲んで、食ってゴロゴロして、犬に唸られる生活。当然太りだし、糖尿病他生活習慣病だ。高齢者離婚が増加の一途だと聞いていた。テメエのあり様をみて、うなずけなくもない。 こうしてわたしは濡れ落ち葉となったのだ。


ある日の新聞折り込みで、区のお知らせ[シニアご招待ボウリング教室]の告知があった。 ちょっとばかり血が騒いだ。昔取った杵柄。何年前だろうか? 30年以上だろうか? 180以上のアベレージはあったのではないか? よーしやってみっか。倉庫の片隅には埃をかぶったボール、バッグ、シューズがあるはずだ。 そうして30年振りで博多スターレーンのボウリング教室に参加した。 楽しかった。博多スターレーン専属プロ、冨岡 雪枝コーチの指導が巧みだったのか?取り憑かれてしまった。またまたボウリングに夢中になったのだ。そして毎日投げた。


ある時、行きつけの医者に3ヶ月ぶりで顔をだした。医者が言った。
「どこか別の医者に行っていますか?」
「いいえ、何故ですか?」
「あなたの糖尿が直っているのですよ!」
信じられない。糖尿は基本的に直らないと聞いていた。そうだ! ボウリングのお陰だ。


ある日、恐る恐る女房に言った。
「オレ、ボウリングのお陰で糖尿直ったよ。コーチが言うにはダイエットにもいいんだとよ。おまえも一緒にやらないか?」
鼻でせせら笑われた。さらに何カ月かが過ぎた。役所の告知を見た女房がつぶやいた。 「アタシもやってみようかな・・・・。」 はじめは一緒に行かなかった女房が、このごろ週2回、僅か2時間ぐらいのリーグに参加しているのだ。たった週4時間だけれど、夫婦でボウリングリーグを楽しんでいる。しかも驚いたことに仲良くである。その他の時間はお互い交渉無しだ。これ鉄則。オレ達高齢者は、とかく女房と断絶しがちだという。ボウリングは絶対いい。健康にいいし、夫婦にもいい。だからだろうか? ボウリングでは高齢者のカップルが沢山いるのだ。いまやオレは濡れ落ち葉じゃない。もう濡れてない。枯れてはいるけれど・・・・。


以上は、2004年12月12日(日)午後12時43分、品川プリンスホテルボウリングセンターでおこなわれていた「JLBCプリンスカップ」会場で、冨岡雪枝プロから直接聞いた話である。 フラワーボウルの田中支配人、JLBC&日本プロボウリング協会の中山律子会長も同席していた時の話である。こんな話は、こんな事例は沢山ある。提案→夫婦で週4時間、共通の趣味をもちなさい。何もボウリングでなくてもいいのだ。


もしボウリングをやるのだったら、スーパーボウル高松をおいて他はないのだ。 これさえ守れば上達することは間違いない! コーチは 結城竜弥、小池和久、高藤洋輔がいい。 もっと良いのはオレ、すみ光保だ!


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すみ光保

すみ光保(すみみつやす)

■1935年東京都生まれ。株式会社スミ代表取締役。1967年にライセンスNo.4第1期生プロボウラーとしてデビューする。ボウリングインストラクターライセンスはマスター。
主な著作は、子供とボウリング(ぎょうせい出版)、ボウリング(ぎょうせい出版)、VJボウリング(日本テレビ出版)、NBCJインストラクターマニュアル、ブランズウィック発行マニュアルなど多数。

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