正直言ってわたくし、軽薄なところで一流大好き人間です。だけれど残念ながら、また口惜しいけれど色々な事情でそれができない・・・・。しかし、それにしても一流って一体何なんでしょうかネ−? 世俗的既成概念でとらえれば・・・・。


●スポーツの世界では、オリンピック正式種目は一流のスポーツだが、ボウリングは二流、ましてやプロレスは三流である、というものの見方。

●音楽の世界で言えば、クラシック音楽は一流なれど、ジャズは二流、ましてや演歌なんぞは三流だ、というものの見方。

●文学の世界では、純文学は一流だけれど、推理小説は二流であり、ましてやSFは三流、というものの見方。

●絵画の世界で言えば、油絵は一流だけど、イラストは二流、ましてや漫画は三流なり、というものの見方。

●演劇の世界で言えば、お能や歌舞伎は伝統芸術で一流であるが、落語は二流、ましてや漫才なんぞは三流なり、というものの見方。


これと似たような台詞を昔何かの本で読んだことがあります。 その世俗的既成概念に対するアンチテーゼに、ある種共感し、頭に残っていたのだと思います。「わたしプロレスの味方です」だったか? そうですよね、確かにこんなものの見方は世俗的であり、(世俗を否定しているのではありません)まったく教養を欠いた視点(教養を欠いている本人の言)だと言えます。しかし、世俗的というのは一般的ということでもあります。自分で気づかないところで、誰もがこのような優しくないものの見方に陥っているのかも知れません。


イヤですネー。しかし仕方のないこと、極力自分を客観的にチェックする視点を意識することと、あと何ですか・・・・? 個人的好みは別として、ゴルフとボウリングと比べてどちらが上なんていえないですよネ? そうした上下で物事を判断する癖から早く日本人は抜け出さねばならないと思うのです。先輩だから、上司だから、お世話になっている人だから言いたいことを言えない、なんてことがありすぎるのでは?


さて、ゴルフとボウリングとくらべてどちらが上なんてことは言えない。 優しくない。しかしだ、ボウリングの中で一流のプレイヤーと、二流、三流のプレイヤーがいることは事実であり、否定しないどころか、そうしたランキングがあるところに面白さもあるのでしょう。スポーツのすばらしいところは、序列をつらないところにあるはずなのです。しかしながら、わが国では、あらゆる世界に残念ながら序列が厳然としてあります。これからの時代のスポーツであるボウリングの世界ですらそうなのです。ありていに言えば縦社会と言うのでしょうか? スポーツの世界から正していかねばならないのに、そのスポーツの世界が1番古いと言っていい。残念ながらわたくしも、出羽も、結城も、もう一流のトーナメントプロにはなれない!? と思っている。(出羽、結城がどのように思っているかは知らない。身の程知らずで良いけれど・・・・。)小池は可能性がある。高藤もある。なれるか否かは別として可能性はある。だからなってほしい。


わたくしと、出羽、結城には一流のトーナメントプレイヤーの可能性がもうない。(出羽、結城がどのように思っているかは知らない。身の程知らずで良いけれど・・・・。)しかし、プロライセンスを生かす道として、一流のインストラクター、ディレクター、マネージャー、ドリラー、経営者、アドバイザー等としての可能性は残されているのです。 それがプロライセンスをこれから活かしていく道であると思うのです。"プロとは、その能力でひとり立ちできるヤツ" をいう。 いまプロ協会にはそんなプロがあまり居ない・・・・残念!


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すみ光保

すみ光保(すみみつやす)

■1935年東京都生まれ。株式会社スミ代表取締役。1967年にライセンスNo.4第1期生プロボウラーとしてデビューする。ボウリングインストラクターライセンスはマスター。
主な著作は、子供とボウリング(ぎょうせい出版)、ボウリング(ぎょうせい出版)、VJボウリング(日本テレビ出版)、NBCJインストラクターマニュアル、ブランズウィック発行マニュアルなど多数。

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