わたくしのスプラッシュ3月号の原稿に対して、小郡スーパーボウルの久保ディレクターから猛烈な反発をくらいました。下記のところが気に食わなかったのでしょう?


「タクシーに乗るとき、客は乗ってやるのではなく、"乗せていただく" 運転手は"乗っていただく" つまり、お互いにホスピタリティの精神が必要なのだと考えるのです。」


お客さまを愛する久保ディレクターに言わせれば、お客さまに対して「投げさせていただくのだと思え」とわたくしが言っているのだと多分解釈したのだと思います。久保ディレクターはいいネ・・・・ 久保ディレクターに任せておけば安心です。


ディズニー漫画で、唯一わたくしの1番好きな短編傑作があります。車を運転しているときは、通行人が邪魔でオオカミの顔で通行人に向かって怒鳴り散らし、自分が通行人の立場のときは、オオカミ顔になってこんどは車に対してかみついている。同じ人間が・・・・ どだい人間は自分本位でありまして、わたくし、自分も含めましてテメエさえよければいいと思っている輩が圧倒的多数なのであります。でなければ・姉歯偽装問題・防衛庁他談合問題・警察裏金問題・東横イン問題・外務省機密費問題・牛肉輸入問題・・・・ 挙げたらキリない。100ページあったって収まらない。


さて、「投げてやってんだ」「投げさせていただいてるのだ」も「投げさせてヤル」も「投げていただいてる」もオイラの勝手でしょ!!と、これが正解なのであります。しかし、われわれは常に「お投げいただいているのだ」というスタンスを忘れてはいけないと思うのです。もし「投げてやってんだ」という意識がお客さまにあるとしたら、それはわれわれのセンターの姿勢に問題があるからだと考えるのです。しかし、これはとても難しいことであって、何事も上下で物事をみることを刷り込まれている日本人は、とかく客が偉いと思っていてオオカミの顔で相手を見下す癖がついている傾向にあるようです。スーパーボウル側にたてば、わたくしは店側です。食事に行ったり、ホテルに泊まったりすれば、わたくしは客側、つまりオオカミ顔になる危険性を秘めているとの自戒があります。


「お客さまは神さま」という三波春男の名言をわたくしは否定します。わたくしは無神論者ですが、神が絶対存在だとすれば、お客さまの言うことはどのようなことでも聞かねばならなくなるのです。1人のお客さまを大切にすることにより、10人のお客さまを失ったり、大切なスタッフを失うならば、わたくしはその1人のお客さまを積極的に切りたい、そのお客さまを失うべきだと思っています。


さて、スーパーボウル対そのお客さま、という限った図式でこの原稿をとらえると、再度また誤解を招くことになりかねません。(わたくしの筆力が未熟なのですが)だれもが客対何々の立場になり、常にその立場は入れ替わっているわけです。理解できそうなのですが、その立場になると相手がみえなくなっちゃう。ディズニーのオオカミです。全ての関係がイーブンになるってことは、結婚制度がなくなるぐらいの時間経過が必要なのだと思います。お客さまは決して神さまではない。けれど、われわれにとっては「お客さまは恋人」でありたい。自分の大好きな恋人であるなら、「どうしたらもっと喜んでいただけるか?」「どうしたらまた会えるだろうか?」っていつも考えると思うのです。恋人になるには理解し合わねばなりません。理解しあうにはコミュニケーションが必要です。もっとお話しすることが必要です。 われわれの今年のスローガン【もっとお話し しようヨ】の真意はこんなところにもあると思います。お客さまから「ありがとう」って言っていただけるような接客を目指して・・・・!!!


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すみ光保

すみ光保(すみみつやす)

■1935年東京都生まれ。株式会社スミ代表取締役。1967年にライセンスNo.4第1期生プロボウラーとしてデビューする。ボウリングインストラクターライセンスはマスター。
主な著作は、子供とボウリング(ぎょうせい出版)、ボウリング(ぎょうせい出版)、VJボウリング(日本テレビ出版)、NBCJインストラクターマニュアル、ブランズウィック発行マニュアルなど多数。

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