先月9月9日土曜日の18:00〜23:50まで 「酒井武雄と語る&チャレンジマッチ」 なる催しが、出羽プロの企画により小郡スーパーボウルで行われました。


酒井とわたくしとの出会いは1974年頃の新潟だったと記憶しています。 酒井はその前年に第9期プロとしてデビューし、すぐさま頭角を現しました。 新潟の「ジョイタウンボウル」の開場記念としてブランズウィックの紹介でそのオープニングに派遣され、わたくしが司会進行役を務めたのだったと記憶しています。 それが確か酒井との最初の出会いだったように思う。 なにせ30年以上の昔なので記憶が確かではありません。 その何年か前の西城正明との出会いもショッキングでしたが、わたくしにとって酒井との出会いはそれ以上でした。 矢島と初めて会った昭和40年のときもショックでした。 わたくしはいつも常にショックを受けているのです。


いま思えば [ハイリボリューションリリース](和製英語ではローダウン)のわが国における創始者は酒井武雄であるといえるのではないかと思うのですが? そこにわたくしは惚れたのです。 ファンになりました。 高松の皆様は酒井とはお馴染みで、毎年彼のボウリングをご覧になり、彼のことは良くおわかりと思います。 今年9月6日はネバーランドボウルにお目見え、毎年のように太洋ボウルにも来場しています。


多くの優れた選手は、ボウリングに限らず常に創意工夫があるものです。 酒井も毎年その投げ方が変化している。 そこが面白い。 どのようなイメージでラインをつくっているのか? ターゲットをどのように使っているのだろうか? スランプ対策はどのようにしているのか? 予選落ちした時はどのようにして立ち直るのだろうか? 試合中のボールチエンジはどんなキッカケでするのか? レーン対処法で特別の工夫はあるのだろうか? サムホールに貼るテープはどのように使っているのだろうか? プレッシャーにはどう対応しているのだろうか? どのように集中を行っているのか? 等など・・・・。 優れたプレイヤーのそれらを知ることはとても興味深いし、参考になる。 コーチであるわたくしにとっても大きなヒントにもつながっていくのです。


小郡の出羽正和プロの企画、司会で「酒井武雄と語る&チャレンジ」がスタートしました。以下酒井武雄のその時のコメント抜粋です。

●試合で思うような結果がでなかった時、あーいい経験をしたなーと思う。そして結果から何かをフィードバックする。
●どのボールを使用するかは、練習ボール時に決めている。
●プレッシャーはいつもある。 緊張をいかに楽しめるかだ。[長嶋流だね]
●曲げたい時サムをほんの僅か外側に、曲げたくない時内側に。
●サムホールにはだいたい12-13枚テープを貼っている。 外側に9枚程度、内側に4-5枚楕円形に貼っている。 それで指の変化に対応している。
●いかにリストを柔らかく、リラックスでき、力が入らないかが大切だ。
●ヒジは意識して曲げているのではない。 脇がアマくならないように足に近づけているうちに曲がるようになった。
●思った結果が得られなかった時、良い経験をした、しかし何故こうなったかを自問している。
●優勝した時のイメージを追っている。
●私にとってボウリングは、感覚が重要だ。
●レーンコンディションは難しい。 投げ方も難しい。 ボウリングは難しいことだらけ。 だから私は大雑把に投げる。 何枚目なんて狙わないで、[あのあたり] 程度に投げている。 アドレス時、あの辺をどのようなアングルでフッキングポイントまでもっていくかだけをイメージする。 結果は考えない。


企画の中で、こんなやりとりがお客さまとの間で行われました。この最後のコメント [あのあたり][大雑把] てのが面白い。 まさに西城正明などと正反対で、このとらえ方に酒井武雄の個性をみることができるのではないのだろうか。 酒井もシニアになった。 しかし、この先ますます変化し、進化していくのだろう。 楽しみだ。 ちなみに、チャレンジマッチでの酒井は1G目212ピン、2G目239ピン、3G目226ピン、4G目244ピン、トータル921ピンで誰も勝てなかった。




次ページ:役に立たないボウリングの話
すみ光保

すみ光保(すみみつやす)

■1935年東京都生まれ。株式会社スミ代表取締役。1967年にライセンスNo.4第1期生プロボウラーとしてデビューする。ボウリングインストラクターライセンスはマスター。
主な著作は、子供とボウリング(ぎょうせい出版)、ボウリング(ぎょうせい出版)、VJボウリング(日本テレビ出版)、NBCJインストラクターマニュアル、ブランズウィック発行マニュアルなど多数。

BackNumber
このページの先頭へ