我が国のボウリングルールブックには大きく2種類あります。
ひとつはJBCルールあり、もうひとつはNBR(日本ボウリングルール)です。
完成度が高いのは無論JBCルール。

元学習院大学社会学の名誉教授でいらっしゃった加藤秀義氏がABCのルールを翻訳されたのが、日本におけるボウリングルールブックのルーツです。
昭和25年頃だったと思いますが、我が国にボウリングを紹介して下さった業界の恩人、故加藤義秀氏の子息です。現在ある2ツのルールブックは全てそこから派生しています。
いまから確か10年ほど前だったでしょうか、多分平成10年4月だったと思いますがわたくしはNBCJからの要請で古くなったNBRの直しを引き受けて手を入れました。
現在のNBRはそのときのままです。
ですからもうすでにとても古いままです。  
そのとき一番気を遣ったのが、「ボウリング競技の前提」と「リーグ規定」です。
「ボウリング競技の前提」を紹介すると、ボウリング競技は、勝ち負けももちろん大切ですが、それ以上に『友好と社交性』 が重要視されます。
それなくして勝ち負けは全く意味をなしません。

ボウリング競技 は人間と人間とのコミュニケーション、そして愛の上にこそ成り立つスポーツです。
1〜2週間前、NHKで長島と王の長時間インタビュー番組がありました。
王は言っていた。「われわれの目的は勝ことにこそあるのだ」と。
この台詞は王に限ったこではなく、特にプロスポーツ選手なら誰でも言うことでしょう。
しかし果たしてそうなのでしょうか? 勝つことが唯一の目的なのでしょうか?

それであるなら何のために、誰のために勝つのか? 
名誉のため、自分のためなのでしょうか?  

わたくしは思うのです。先月号でも触れましたが、われわれプロの勝つ目的はフアンためだと思うのです。
従って勝つということは、フアンによろこんでいただくための目標手段であり、目的ではないと思うのです。  

ABCルールは1895年に設定されているのですが、そこにはすでに「友好と社交性という言葉が位置づけられています。
“愛の上にこそ”
などというむずがゆくなる言葉を使ってしまいましたが、本来あらゆるスポーツはルールのあるアソビであり、神聖なものでも何でもない。人間同士のつなりをつくるアソビです。

儒教の影響か明治政府の影響かどうかは知らないけれど、特に第2次大戦以降日本人はアソビに対し罪悪感を引きずって来ていて、いまだそこから抜け出ていないと思われます。
その証拠にわたくしを含め日本人はアソビが下手だ。
リーグやトーナメントを見ているとみんな勝ち負けにはこだわるけれど本当のところで楽しんでいない、あそんでいない。 
まだこんな試合に出る腕ではない。
なんて言う台詞が大手を振っている。
観ようとはするけれど参加しようとしない。物おじする。遊べないのだ。

さて、わたくしがリーグを覚えたのは昭和36年頃、朝霞のキャンプドレイクでした。
いまの自衛隊基地の前身です。  何年か前にそのときのリーグ体験談はこの連載に書いた記憶があるけれど、とにかく楽しかった。
みんなフレンドリーで週1回のリーグがどんなに楽しかったことか。このときの5〜6年のリーグ体験がその後のわたくしのボウリングの基礎をつくっているといっていい。
たとえばリーグは全て5人チーム。スペアー登録が3人まで認められているので、8人でチーム編成ができている。
10チームだとすれば約80人の団体となり、それがひとのクラブ組織になっている。
ですからそのクラブには会長(リーグプレジデント)がいて副会長(サブプレジデント)、専務理事(リーグセクレタリー)、会計(アカウンター)などの係がいてクラブ運営を行っているのです。優秀なセクレタリーは職業化している。

残念ながら昭和47年以降、我が国業界の大不況で4分の1以上のセンターがなくなり残った4分の1のセンターはその年にオープンしたところが中心でした。
従ってリーグなどを学ぶ余裕などなかった。ボウラーも同じで1レーンに5人も入れようものなら、“レーンが空いているのに何故5人も突っ込むのか”と大きな声で怒っていたものです。
現在でもそれを引きずっています。そんなお客様に迎合してセンターは対応してきました。その結果がいまの現状。
つまり、いまのボウラーはリーグを知らない。
5人チームの面白を知らない。
すみ光保が古いというのではなく、リーグの本質を知らない。
すみ光保も古いですけれどネ。  
5人チーム戦だと順番がなかなか回ってこない。その時間がコミュニケーションタイムであり、応援タイムであり、ドリンクや食事タイムなのです。5人チームで3ゲームの戦いで約2時間30分のお楽しみがリーグなのです。
リードオフやアンカーを誰にするか。スタート前に相手のキャプテンとメンバー交換し、読み違いを悔やんだり、うなずいて膝をたたいたり、ビヤフレームに興奮したり、マークを記入しながら、作戦を練ったり。リーグ終了後、次週の対策を相談したり、今日を反省したり、そんなアフターリーグの会話がまた楽しい。  
自分が打てることだけを考えているボウラーはボウラーではない。
自分好みのレーンでないと投げないヤツはボウラーではない。
勝つことしか頭にないボウラーはボウラーでない。
自分より技術が下の者をバカにするヤツはボウラーの風上にもおけない。
リーグはひとつのクラブ組織なのだから、組織のルールに従わないヤツはボウラーではない。
つまりボウラーは友好と社交性、そして仲間を愛する精神の持ち主であるべきなのです。

 勝つことが目的ではなく、それは手段であり、目標です。
プロだったらフアンのためが目的ですが、プロ以外だったら、仲間のためにが目的になり、そのための目標が勝つということだとわたくしは思うのですが、いかがなものでしょうか・・・

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すみ光保

すみ光保(すみみつやす)

■1935年東京都生まれ。株式会社スミ代表取締役。1967年にライセンスNo.4第1期生プロボウラーとしてデビューする。ボウリングインストラクターライセンスはマスター。
主な著作は、子供とボウリング(ぎょうせい出版)、ボウリング(ぎょうせい出版)、VJボウリング(日本テレビ出版)、NBCJインストラクターマニュアル、ブランズウィック発行マニュアルなど多数。

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