弊社潟Xミ、ブームセブン梶A鰍iBPとの3社共同0で、2010年度プロテスト第49期にトップ合格したライセンスナンバー1219川添奨太プロと契約を取り交わした。

 第2位と500ピン差をつけて合格を誓い合ったのだが、残念ながら、その差は約100ピン強だった。しかしアベレージは219の立派なものである。何よりもトップ合格を自信を持って宣言していたことは注目に値する。
 PBAと戦える日本唯一人のプロとしてPBAツアーに参戦してもらい、注目を集めていきたいと考えている。
 4月20日、川添にとって初の公式試合<シーズントライアルプリンス会場>が行われた。わたくしが応援に駆け付けた時は残り4ゲームを残すのみで、20位だった。この4ゲームの追い込みが見事だった。結果的には決勝に残り最後の1ゲームマッチで韓国のチェ・ウォンヨンに敗れたが賞金を手にした。
 さらに22日よりジャパンカップの選抜がはじまった。初日選抜終了時点では6位。AVG.221。
 準決勝では1回戦で豊田プロに4−0で勝利したものの、残念ながら、2回戦でウォルター・レイ・ウイリアムズに2勝2敗としながら3ゲーム目でレイに280を打たれ惜しくも敗退した。優勝はトミージョーンズであった。

 有元勝というコーチがいる。彼はPBAにまったく勝てない日本のプロの現状に目を向け、なんとかしたいとその原因と対策を模索してきた。
 そしてある結論に達し、その実践としてのコーチングをスタートさせた。
 その成果が川添奨太であり、和田翔吾であろう。

 その有元勝コーチの理論はボウリングマガジン9月号より連載がスタートするので注目いただきたい。わたくしは我が国最高のコーチであると思っている。

 ここで川添奨太を少し紹介しよう。
 本年21歳、現役の大学生。家庭の事情で大学を中退しプロテストにチャレンジ。
プロボウラーとして稼がなくてはならない。
 
 親の影響でボウリングを始めた川添は、そのホームセンターでの最初のスコアーが164だったという。そのセンターの専属プロに驚かれ、ほめられたことが、結果的にプロへの道につながったのだろう。
 主な練習センターはパークレーン宇部と小郡スーパーボウルになるが、時々は本山ボウルでチャレンジなど、お客様との交流をつくっていきたいと考えています。

 本人はトーナメントプレイヤーですが、現場では、何よりもお客様と交流し自分自身のフアンを多く獲得していくことがプロとして最大の価値であることを自覚している。これがいい。自分のフアンをどれだけもっているかがプロとしての存在価値であるのだから。
 特にボウリングはフアンとプロの間に他のプロスポーツのような垣根やフェンスは存在しない。それだけ身近な存在であるのだからなおさらである。ドリルも担当できるので乞うご期待です。
 
 21歳という若さである。しかし、プロは若いということで責任を回避できない。
 若いということで許されるものはプロである以上ない。

 時代はボーダレス。すべての境界線があいまいになってきている。ましてやプロとアマの境界線はますますあいまいである。川添はJBCのナショナルメンバーであったし、女子第2位合格の片井文乃も同様だ。であればこそプロとしての存在価値をどのように自らつくり上げていくかが重要になろう。

 JPBAにはプロとは何かという定義がない。当たっているかどうかは別として、わたくしは<プロとは差で勝負ができる人>と定義づけてきた。川添にはぜひとも投球技術の差で勝負してもらいたいし、フアンの獲得数でトップを目ざしてほしいと思っている。
 それには日本のプロの夢であり、目標であるPBAに勝つことだ。

 さてそこで、<ショータクラブ>(仮称)つまり川添奨太プロサポートクラブを組織し、皆様とともに応援していきたいと考えておりますがいかがなものでしょうか?

これから<川添奨太プロ契約記念チャレンジトーナメント>(仮称)を開催したいと考えております。その表彰式のとき、みなさまにご提案させていただきたいと思います。よろしくサポートいただきたいと存じます。


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すみ光保

すみ光保(すみみつやす)

■1935年東京都生まれ。株式会社スミ代表取締役。株式会社ジャパンボウリングプロモーション会長。
1967年にライセンスNo.4第1期生プロボウラーとしてデビューする。ボウリングインストラクターライセンスはマスター。
主な著作は、子供とボウリング(ぎょうせい出版)、ボウリング(ぎょうせい出版)、VJボウリング(日本テレビ出版)、NBCJインストラクターマニュアル、ブランズウィック発行マニュアルなど多数。

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