ホワイティ・ハリスに教わったこと

今でこそポジティブ[Positive]やネガティブ[Negative]なんて言葉は、みんなほぼ日常的に使われるようになっています。しかし、わたくしがこの言葉に出会った昭和43年[1968年]にはほとんど使う人はいなかった。

昭和38年[1963年]、わたくしは池袋にあるハタボウリングセンターと顧問契約を結び、インストラクター中心の仕事を行っていました。これが現場での初仕事でした。つまり今までインストラクター一筋でこの業界で仕事をしてきたわけです。それまではボウリング専門誌の編集長の仕事を担当していました。そして昭和42年[1967年]の日本プロボウリング協会設立の年に、日本ブランズウィックと専属契約を結びました。いまだにその契約は38年間も続いているわけですが、わたくしが日本ブランズウィックと契約した翌年の昭和43年[1968年]、当時アメリカの著名インストラクタープロであるホワイティ・ハリスを招聘して、日本におけるインストラクター講習を日本ブランズウィック主催で開催することになったのです。

ホワイティ・ハリスといえば、2002年まで破られることのなかった5人チームの世界記録3858点を樹立した[1958年]バドワイザーチームのキャプテンである。記録樹立メンバーは、[ドン・カーター 754点][レイ・ブルース 834点][パット・パターソン 736点][トム・ヘネシー 759点][ディック・ウェーバー 775点](点数は3ゲームシリーズ) また、ボウリングの神様ディック・ウェーバーの発掘者であると同時にコーチでもあったという、当時われわれからすれば神様的存在の人であったのです。

さて、そのホワイティ・ハリスのアシスタントをわたくしが担当することになったのです。天にも昇る嬉しさでした。日本全国24会場をインストラクタークリニックでホワイティと共に歩きました。彼は回を重ねるごとにわたくしの担当部分を徐々に増やしていってくれました。わたくしに対する教育的効果を計算していたのではないかと後で思いました。最後の会場では、ホワイティと抱き合い成功を喜び合いました。その時、ホワイティはわたくしに言ったのです。

「スミ、キミのお陰で参加者に喜ばれながら、24会場無事に終了させることができた。本当にありがとう。そこでキミにプレゼントをしたい。夕食後私の部屋に来てほしい。」

"きっとセントルイスからお土産を持ってきてくれたんだ!"
バカなわたくしは喜び勇んで約束の時間にホワイティの部屋のドアを叩きました。ホワイティはわたくしに椅子を勧めて、彼はベッドに腰を掛けてニコニコと笑顔だ。わたくしはプレゼントはどこか?とキョロキョロしていたんだと思う。ホワイティは笑顔を崩さず、おもむろにわたくしにこう質問をした。

「スミ、キミはポジティブ シンキングっていう言葉を知っているか?」

「…?…」考えた。シンキングってのは[考え]ってことぐらいはわかるる。ポジティブってのが判然としない。ポジっていうのは写真のネガ&ポジのポジか?だとすれば陰と陽の[陽]ってことか?であるなら[プラス思考]ってことにならないか?しかし自信がない・・・・無言。

「キミへのお礼のプレゼントは[ポジティブシンキング]という言葉だ。この言葉をキミにプレゼントしたい」と言って、それから延々と2時間にわたり説教を食らうハメとなる。「スミ、キミは本当に良くやってくれた。感謝している。モーニングコールから、お迎え、鞄持ち、そして各会場のセッティング、受付、講義、後片づけと・・・・。しかしだ!講義を担当している時間を除いてキミは嫌々やっていただろう?」

ドキッとした。ズバリである。確かにわたくしは嫌々やっていた。(何でオレがこんなことまでやらねばならないんだ。オレはアドバイサリーコンサルタントスタッフだ。後片づけなんてブランズウィック社員がやればいいじゃネーか!ハタ時代は部下が30人以上もいた。雑誌時代は編集長だ。なんでオレが会場セッティングから後片づけまでやらねばならねーんだ!)なんて思いながらやっていた。ホワイティには全てお見通しだったのだ。

「嫌々やるならやるな!やるなら前向きにやれ!やる意義と目的をとらえてやれ!そういう前向きな姿勢、肯定的姿勢、プラスな考え方でやれ!スミ、もしキミにポジティブシンキングが身に付いたら、キミはきっと最高のインストラクターになれるのだ!私はキミにこのポジティブシンキングという言葉を贈りたい。」

しばし呆然となった。どんな物をもらうより嬉しかった。人や受講生を笑わせてばかりいたホワイティが、優しく厳しくわたくしを諭した。それまでのわたくしの32年間の人生の中で、このポジティブシンキングというホワイティの言葉は最高の贈り物だった。それ以来、座右の銘といわれれば「POSITIVE THINKING」と答えている。 ホワイティはわが株式会社スミの顧問となった。しかし、彼はもういない。 いまや流行り言葉風だ。鮮度も失せた。もっとカッコいいこと言いたいが・・・・

投稿者プロフィール

すみ光保
すみ光保
1935年11月8日、東京都生まれ。1967年1月にライセンスNo.4の第1期生プロボウラーとしてデビューする。ボウリングインストラクターライセンスはマスター。プロボウリング協会創設メンバーでもあり、プロボウリング協会に貢献した人物。2014年4月逝去。株式会社スミ、初代代表取締役。

主な著作は、子供とボウリング(ぎょうせい出版)、ボウリング(ぎょうせい出版)、ボウリング(日本テレビ出版)、NBCJインストラクターマニュアル、ブランズウィック発行マニュアルなど多数。

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