オープンして本日でちょうど20日目に当たります。感動の連続、驚きの連続でした。そんなエピソードをいくつか。

3、4歳の女の子とお母さん、そして小池プロ
 7月11日、本山オープン前日、ジャズコンサートが終わった後、小池プロのデモンストレーションがあった。その女の子親子が到着したのは小池プロのデモが終了した後だった。「せっかくプロを見に来たのに残念です」とお母さん。それを知った小池プロは「じゃーもう1度投げますよ。だから一緒に投げようよ」と女の子を誘ったのでした。嬉しそうな女の子。疲れている小池はその親子のために一生懸命に投球しながら。一緒に投げようと誘い、女の子に親切にコーチ。 たったそれだけの話しですが、わたくしとしては嬉しかったですね。疲れているのに笑顔の小池の優しさが嬉しかった。きっとその親子はボウリングファンになるでしょう。それ以上に小池ファンになっているだろう。小池の優しさに。

中学生らしき女の子とバイトスタッフ
 オープンの日一人でやってきたその女子中学生は、チラシに付いていた1ゲーム招待券を利用して1ゲームだけ投げて帰ろうとした。ハウスボールとシューズを所定のところに返却して。それに気づいた一人の社員が、「すいません、靴代を頂いていないのですが」 その女子中学生はドギマギして困っていた。気づいたバイトの一人が、「お金もっていないの? 大丈夫、私が払っておくから都合のいい時に来てね」その女子中学生は「すいません」といいながら、ホットした顔でエレベーターに姿を消したのです。30分もしないうちに戻って来た彼女はそのバイトを探して300円を返していた。小池といい、このバイトの女性といい、なんて優しいスタッフが揃っているのか?わたくしは嬉しくて仕方ありませんでした。

32年前の出会いを
 地域の方々をご招待した7月11日のプレオープンの時でした。フロアーにいたわたくしはある初老の男性に声をかけられました。
「すみさんでしょうか?」
「はい、すみですが。」
「実はボクはAIと言いますが、私の女房の両親が昔すみさんにボウリングを教わったとのことで、義母に挨拶してこいと言われてやってきました。義父は3年前に亡くなりました。」 
「もしかしたら、お母さんはピアノの先生で、お父さんはその頃個人タクシーをおやりになっていた○○さん?」
「そうです、その通りです。車椅子の義母は84歳になります。チラシを見てすみさんに会いたいと言っていました。」
昭和51年の初め、わたくしはLTBの実験のため、3ヶ月間の予定で名古屋に出張していました。米国でのLTB開発チームのチーフであったローシャンという男との共同作業でした。作業は成功して全国にLTBを紹介して歩くことになったのですが、その実験作業の合間を縫ってコーチをさせていただいたのが○○さんだったのです。よくご自宅に招待されてご馳走になった後ピアノを聞かせていただいり、麻雀をしたりしたものでした。なにせ32年前のことですよ。84歳になられて、よく憶えていてくださった。そしてわざわざ訪ねてくださり感激でした。

こんなキチガイグループがあるとは
 「弊社のHP掲示板に、写真を撮りに行きたいのだけれどいいか?」 との連絡でした。無論大歓迎。見えて、お会いして、お話ししてビックリ。世の中にこんなキチガイがおられるのでしょうか? お歳は多分30歳半ばから後半の間?なのに古いボウリング設備に対してものすごい知識。キングクラウンのマスキングがいつ製造されて、いまどこに残っていて、手書きのセンターはどことどこか。等など、何でそんなことを知っておられるのでしょうか?そんなブログ仲間が10人以上いらっしゃるということで、こんど本山ボウルでオフ会を計画中だとか。彼(RI氏)は本山ボウル展示の古い雑誌、小物、ポスター、写真そしてアストロラインの設備をカメラに収めていかれました。早くそのキチガイグループにお会いしたいと思っております。ピンのコレクターなぞ凄いの一言。 「アストロライン、手書きシステム、古い資料郡に囲まれながら古いすみさんと、同じぐらい古い大澤さんとお話しできるなんて興奮です」なんて言っていつまでも写真を撮っておられました。

もと本山スタッフ
 Mさんは本山ボウルによほど愛着をもっておられるようです。というより現在のビルのオーナーでいらっしゃる服部社長を限りなく尊敬されているようです。服部社長が直営なさっていた時のスタッフとのこと。新装になったこの本山ボウルをいつまでもオープンした時の美しい状態を保っていたい。そんな思いから、現在のご自分の専門分野であるビルメンテナンスのノウハウを我々にこと細かく教えてくださる。そればかりではありません。絨毯のクリーニングマシン、掃除機、洗濯機、それに冷蔵庫まで提供してくださった。昔現場にいらした頃、わたくしのLTBセミナーを受講してくださったそうですが、今や本山ボウルのコーチ役&アドバイス役を熱を込めてしてくださっています。深謝。我々にとり無くてはならない存在のMさんです。

小低学年時投げていた出張族夫婦
 そのご主人は事務所前に立っていたわたくしにいきなり話しかけてこられました。  「実はわたくし小学校の頃、両親に連れられてしょっちゅう本山ボウルで投げていたんです。大分に行っていて、この3連休で帰ってきました。本山ボウル復活というニュースを聞いて、飛んできました。感激です。昔と変わっていない。キレイになった。雰囲気も良くなった。落ち着けるようになった。このウッドの音、アストロライン。プロジェクター、何一つ変わっていない。」  奥さまに冷やかされていました。「あなた何故涙ぐんでいるのよ。泣くほどのことなの?」こっちがグッときそうだった。オレも歳だ。

手根管症候群の両手投げ
 まず、いきなり色紙を差し出されまして、サインを要望されました。講習会などでテキストによくサインをさせられたものですが、色紙を差し出されるのは何十年ぶりです。恥ずかしいですね。彼はボウリングキチなんです。投げすぎて“手根管症候群”という珍しい病気になって手術、しかし握力がなくなり現在両手投げです。プロのサインを片っ端から集めているのです。愛知県常住プロは全てサイン完了とのこと。だけれどもサインを収集してどうするつもりなのでしょうか? 古いボウリング設備の写真をとってどうするつもりか?  おめえ、ボウリング場なんて何軒も経営してどうするつもりだ! といつも同居人に言われているのですが・・・・。

スタッフの活躍
みんな良くやった。この2ヶ月間は全員15時間労働。朝8時に出てきて夜11~12時までだ。新しいものを創りだすということは、魅力あるし、楽しく目が輝くものだけれど、それにしてもであります。振り返ってみれば、小郡の時も高松の時もそうだった。みんな素敵な奴らだ。スタッフ全員に伝えたい。ありがとう。これからもよろしく。

投稿者プロフィール

すみ光保
すみ光保
1935年11月8日、東京都生まれ。1967年1月にライセンスNo.4の第1期生プロボウラーとしてデビューする。ボウリングインストラクターライセンスはマスター。プロボウリング協会創設メンバーでもあり、プロボウリング協会に貢献した人物。2014年4月逝去。株式会社スミ、初代代表取締役。

主な著作は、子供とボウリング(ぎょうせい出版)、ボウリング(ぎょうせい出版)、ボウリング(日本テレビ出版)、NBCJインストラクターマニュアル、ブランズウィック発行マニュアルなど多数。

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