1952年[昭和27年]は、日本で民間ボウリングセンター第1号の東京ボウリングセンターがオープンした年である。 ここからわが国の民間ボウリングセンターの歴史がスタートしたといっていいだろう。 一方米国ではこの年、ブランズウィックのオートマティックピンセッター[AP]が初めてお目見えしている。 それまでは手動式時代だった。 日本では1961年[昭和36年]に、APでの営業センターが初めてお目見えした。 ちなみにブランズウィックでは大阪ボウリングセンター、AMFでは後楽園ボウリングセンター。 米国とは約10年ずれている。 遅れている。 時代が大きく変り、設備なども変わってきているのにあまり変わらないのが、わが国の営業のやり方と、日本のボウラーの投げ方である。営業のやり方は置いといて、今日は投げ方を取り上げてみたい。 20年遅れているといっていいだろう・・・・?

投げ方も時代と共に変化してきたのである。
[1] 手動式時代
[2] 45フィートカット時代
[3] ウレタン系フィニッシュ時代
[4] ポリカアーネード時代
[5] シンセティック時代
ボウリングの歴史を振り返ったとき、大きく上記5つの時代による変化が、投げ方に表れているような気がする。

[1] 手動式時代
この時代のスターにネッド・デイがいた。 ドン・カーターの発掘者、コーチでもある。 ネッド・デイの著書に「パーフェクトボウリング」というのがあり、その昔わたくしはその本を翻案、ベースボールマガジン社より季刊で発行されていた 「ボウリング」 という本に連載したことがある。 従ってネッド・デイのボウリング理論には詳しい?のであります。 ネット・デイはフォロースルーについてこう言っているのだ。 「フォロースルーは左の耳を掴むように・・・・」と。彼は右利きボウラーなのである。 手動式時代、オイルはピンデッキまで薄く塗られていた。 左の耳を掴むような廻し込んだ円形スイングをする必要性があったのかもしれない。 この時代活躍したボウラーに、クラウチングスタイルでインサイド投法の傾向があったのもうなずけなくはない。 ジョー・ノリス、アンディ・バリパパ。 バリパパといえば、パイオニアのレーザージュークでトリックショットをやっていた、あのおじいちゃんである。

[2] 45フィートカット時代
自動ピン立て装置であるAPの出現は、投げ方にも大きな変化をもたらした。 オイルがピンデッキまでいっていると、ピンがスベって動き、アウトオブレンジに悩まされる。 そこで考案されるレーンメンテナンスが、45フィートカット法である。 これを実際にやってみると、奥での食い込みが非常にいい。 廻し込みスイングでは通用しない。 身体に直角にスイングして、スイングラインに沿ったまっすぐ直線的なリリースが求められる。 ストレートリフトのリリースである。 この時代の特徴的投法はまっすぐなスイング、押しが強調されたまっすぐ上にリフトされたリリースだ。 バズ・ファジオは言っている「右の耳を掴むように」と。 ネット・デイとバズ・ファジオの二人に同時に教わったら、どっちの耳を掴んだらいいのかわからなくなっちゃうね・・・・今でこそプロにフルローラーは存在しないけれど、この時代フルローラーのプロは結構存在したのだ。 わがバズ・ファジオ然り。 ディック・フーバー然りである。 当時の投法がかいま見える。 この時代のスターにドン・カーターが居、わが恩師であるバズ・ファジオがいる。 少し遅れて先日亡くなったディック・ウエーバーもだ。

[3] ウレタン系フィニッシュ時代
ニトロ系フィニッシュの時代から、ウレタン系フィニッシュの時代に移っていく。 摩擦係数だけを見ても、ニトロ系が0.982に対して、ウレタン系は0.452である。 次の時代のポリカアボネードでは0.096となる。 倍々と速くなっていく。 ストレートリフトでは通用しない。 ではどうしたらよいのか・・・? ボールにより大きな回転を与える必要が出てくる。 そこで出てきた投法が、身体を立てたまま前傾をとらないでボールを遠くに投げ出し、空中でより多くの回転を与えるという投げ方である。 リフト&ターンリリースだ。 代表格がジム・ステファニッチであり、ドン・ジョンソンであろう。 このふたりのファイアストーンでの死闘、299対300の名勝負はあまりにも有名である。 いま見ても興奮するよ。 特にジム・ステファニッチの日本のプロボウラーに与えた影響は大きい。 わたくしの推理によればジム・ステファニッチに影響を受けて成功をしたプロボウラーに、西城正明。 武井利元がいる。 影響を受けて失敗したのに石川雅章、田安明(故人)がいる?

[4] ポリカアボネード時代
いま活躍している米国プロに多大の影響を与えたのが、現代パワーボウリングの創始者のマーク・ロスだ。 いつだったか、わたくしが米国ではじめてマーク・ロスを見たときの衝撃は忘れられない。 野球でバッターが優秀なピッチャーに対戦すると投げられたボールはバッターの手元でスピードが増す、という。 物理的にそんなことはあり得ない。 しかし、マーク・ロスのボールは曲がりはじめてからスピードが増すように見えるのであった。 しかもボールの回転の空気を切る音がブーンと聞こえるようなのだ。 右足でアプローチを蹴る音がパチーン、パチーンと聞こえる。 真似しようたって真似できるような代物ではない。 田舎ッペ丸出しのようなマーク・ロスは、いまでも多くの米国現役プロに尊敬のまなざしをもって見られている。

 
[5] シンセティック時代
アムレト・モナチェリをはじめて見たとき日本のプロは衝撃を受けた。今までのボウリングの基本をことごとくうち破られたのである。 全ては “ハイレボリューションリリース”の為にある。 日本では誰が言い出したか知らないが、和製英語でローダウン。代表格にロバート・スミスなど。本年度アイチタオープンで優勝したパーカー・ボーンⅢは、リフト&ターンで貫き通している。モナチェリもAMFからBrunswickに移籍したとたん優勝だ。 ついでに1月~2月までPBAトーナメントは全部で6本。その内4本がBrunswick ProによるBrunswick Ballでの優勝だ。ボールがいい証拠だ。投げ方が良くたってボールの選択を間違えたらおしまいだよオヌシ。

1月 ミカ・コイブニエミ 優勝ボール:BVP Nemesis [Brunswick]
1月 パーカー・ボーンⅢ 優勝ボール:BVP Nemesis [Brunswick]
2月 アムレト・モナチェリ 優勝ボール:Abosolute Inferno [Brunswick]
2月 ノーム・デューク 優勝ボール:Absolute Inferno [Brunswick]

いまや投げ方だけよかったって勝てないよ。ボールの選択を誤ったらそれでおしまい。ボールの選択も技術のうちなのだ。結論!ブランズウィックボールを選ぶべきなのだ!

投稿者プロフィール

すみ光保
すみ光保
1935年11月8日、東京都生まれ。1967年1月にライセンスNo.4の第1期生プロボウラーとしてデビューする。ボウリングインストラクターライセンスはマスター。プロボウリング協会創設メンバーでもあり、プロボウリング協会に貢献した人物。2014年4月逝去。株式会社スミ、初代代表取締役。

主な著作は、子供とボウリング(ぎょうせい出版)、ボウリング(ぎょうせい出版)、ボウリング(日本テレビ出版)、NBCJインストラクターマニュアル、ブランズウィック発行マニュアルなど多数。

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