ボウリングマガジン時代
1960年[昭和35年]に、日本で2番目のセンターが池袋にオープンした。西武系列、ボウルモア12レーン。池袋ボウリングセンターです。無論手動式。当時わたくしは、家が巣鴨と駒込の間でしたので青山のTBCより近い。当然足を運ぶ回数が多くなる。池袋ボウリングセンターでのボウラー仲間に、セクレタリーの神様である秋元泉、ドリルの神様の高田誠がいた。そしてわたくしはコーチの仏様だった。
ある時、高田が「スミちゃん、一緒にボウリングの専門雑誌を出さないか?」
高田は早稲田大学卒業後、ある広告代理店に勤めていた。新宿武蔵野館地下のフェニックスというクラブだかキャバレーだか知らないけれど、そこのオーナーである大野氏がスポンサーだという。事務局を秋元泉が担当で、わたくしに編集を受け持って欲しいと大野氏とともに言う。ご覧のようにわたくしは文才に長けているし、ボウリングの知識は豊富だし、当時一世を風靡していたトップボウラーでもあるし・・・・? イヤーこの時の体験がボウリングを学ぶこととなり、ボウリングビジネスにのめり込んでいくきっかけをつくりましたね。しかし、高田に声をかけられなかったら、今頃わたくしは超一流の俳優です。ですから今わたくしは高田を恨んでいるのです。今後感謝するときがやってくるだろうか?
そうわたくしは俳優だったのです。新島寿里夫[故人]、浅利慶太[現劇団四季の代表]という優れた演出家が主宰していた劇団七曜会に籍をおいていたのです。やがて七曜会は解散し、浅利は劇団四季に、新島は劇団作品座に。わたくしは新島に傾倒していましたので、作品座へ。すぐつぶれました。既成劇団の民芸、俳優座、文学座にアンチテーゼをもって演劇活動をしていた関係で、俳優座に行きたくもいけない。カッコ悪い。
舞台をあきらめたわたくしは、テレビ、ラジオ、文化映画などでお茶を濁していました。刑事物の走り、NTVの [ダイヤル110番] では、4回に1回は犯人役。フジテレビ丹波哲朗主演の [トップ屋] でもヤクザや殺人犯。同じ局の高松英夫主演 [刑事] でも犯人ばかり。何でわたくしのような二枚目がヤクザや犯人、チンピラ役なのか? 舞台ではカミユの [正義の人々] の主役カリアイエフ、矢代静一の [城] では、やはり主役のフランソア荒井だ。文学座の中谷昇に向こうを張っていました。当時もう中堅どころの俳優でした。ですから高田の誘いに乗りさえしなければ、今頃は大俳優でサントロペに別荘でも持って優雅に余生を楽しんでいたのです。高田にお礼を言うべきか? 恨んで死ぬのか?もう少しで結論がでる、かも・・・・。
投稿者プロフィール
-
1935年11月8日、東京都生まれ。1967年1月にライセンスNo.4の第1期生プロボウラーとしてデビューする。ボウリングインストラクターライセンスはマスター。プロボウリング協会創設メンバーでもあり、プロボウリング協会に貢献した人物。2014年4月逝去。株式会社スミ、初代代表取締役。
主な著作は、子供とボウリング(ぎょうせい出版)、ボウリング(ぎょうせい出版)、ボウリング(日本テレビ出版)、NBCJインストラクターマニュアル、ブランズウィック発行マニュアルなど多数。