日本人のスポーツの概念は一種独特のようです。
"スポーツは神聖なものなり" 何を言っているのか? どこが神聖か教えてほしい。 "健全なる肉体には健全なる精神が宿る" 嘘言っちゃいけないよ!健全な肉体の持ち主で悪者はゴロゴロいるよ。さらに、[汗][耐える][しごき][勝敗][頑張る][根性] 等々。 それに比べて欧米諸国の人たちのスポーツ概念は、[楽しい][健康][明るい][社交][友好][暇つぶし]等々。なぜこんなにも違うんでしょうね?

昔、スポーツの語源を調べたことがあります。 Disport という語源に行きあたりました。[Dis] は接頭語で離れるという意(再びという意もある反対語)。[Port] は港。スポーツの語源はディスポルト、直訳すると港から離れる。なぜ、港から離れるとスポーツになるのか? 現在地球に国がいくつあるか知りませんが、200以上あるのは確かでしょう。その国々のリーダーシップをとっているのは良くも悪くもアメリカでしょう・・・・。しかし、17~19世紀まではイギリスでした。イギリスが世界の中心だったせいか、近代スポーツのほとんどはイギリスが発祥の地です。ハンティング、ゴルフ、サッカー、テニス、卓球、レスリング、ボクシング等々。イギリスは島国です。労働者階級の主な仕事は船乗りでした。彼らは遊びたくとも外は海ですから、遊べません。全ての拘束から解放されて自由になれるのは、港から離れた後なのです。従って Disport は、直訳すれば「港から離れる」ですが、本来の意味は、"全ての拘束から解放されて、遊ぼうよ、楽しもうよ" という意味なのです。つまりスポーツは "遊び、楽しみ、暇つぶし" なのです。

ではどこから日本人独特のスポーツの概念ができあがったのでしょうか? その前に、Disport に相当するわが国独自のスポーツは何でしょう? 相撲? 柔道? 相撲は Disport というより、神事。柔道を筆頭にした競技は Disport というより武道。儒教の影響なのでしょうか? わが国には本来の Disport の意味するスポーツは無かったのです。近代スポーツのほとんどは明治時代に輸入されました。野球しかり、テニス、ゴルフ、ボクシング、レスリングしかりです。欧米諸国に追いつけ追い越せを一大テーマにした、時の明治政府は「富国強兵」をキャッチフレーズに掲げました。そこで欧米諸国から入ってきたスポーツを、強い兵隊を創るための強化訓練の道具として利用したのです。学校教育の一環として体育の時間に組み込んでいったのです。いまでも大学の体育系の部では、しごき、撃ちてし止まん、竹槍精神が残っています。時代の先端を行くべき若者が、未だに明治時代の右翼的雰囲気を漂わせて、スポーツは神聖なり、スポーツに打ち込むヤツに悪人はいない。なんてチャンチャラおかしなことを言いながら・・・・ガックリします。

ボウリングの世界からこそ、そうした古くさい日本のスポーツの概念から脱却したいものです。ボウリングは日常的なスポーツです。選手権試合ならいざ知らず、週1回のリーグから飲み物や食べ物を追い出す必要がどこにあるのでしょうか? ボウリングは飲んだり食べたりできるという特質をもつスポーツなのです。その特質を生かしてこそのスポーツなのです。スポーツの目的は勝敗ではありません。勝敗は結果でしかありません。大切なのは、ソシャリティー、フレンドシップ、コミュニケーション、健康なのです。そして過程で競い合うことです。楽しさです。スーパーボウルでは、以上のような考え方を前提にリーグをくみ、トーナメントを組み立てていきたいと考えております。楽しくなけりゃボウリングじゃない!”

投稿者プロフィール

すみ光保
すみ光保
1935年11月8日、東京都生まれ。1967年1月にライセンスNo.4の第1期生プロボウラーとしてデビューする。ボウリングインストラクターライセンスはマスター。プロボウリング協会創設メンバーでもあり、プロボウリング協会に貢献した人物。2014年4月逝去。株式会社スミ、初代代表取締役。

主な著作は、子供とボウリング(ぎょうせい出版)、ボウリング(ぎょうせい出版)、ボウリング(日本テレビ出版)、NBCJインストラクターマニュアル、ブランズウィック発行マニュアルなど多数。

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