切れた電球の取り替えや、飛んだヒューズの取りつけ。
普通の家庭ではこんな仕事は男がやっているけれどわたくしは一切してきませんでした。
うちではこれらは全て主婦の仕事になっていました。
この度1月20日から計69日間の入院でした。
毎日ワイフが病院に来てくれて身の回りの世話をやいてくれていたのですが、わたくしの退院約20日前、病院前で自転車にはねられて右足を複雑骨折。約4ヶ月の入院を余儀なくされています。
そうしてわたくしの退院後わたくしは一人で買い物に行き、食事の用意をし、洗い物や洗濯など全てをひょろつく足で何とか楽しみながら、あるいは戸惑いながらやっていました。
過去1人で全てをやるなんてことはまったくなかったことで、戸惑うやら、面倒やら、楽しいやら複雑な思いです。
しゃがむと立つのにとても苦労をせざるをえない。
トイレやお風呂場に身体を支える棒が備え付けられている意味がやっと理解出来ました。
ご飯も炊けなかったのが炊けるようになったし、好きなおかずを買ってきて楽しんでいます。朝はパンとご飯が半々。
昼は約100%麺類か外食。夕飯はご飯。面倒ですが楽しさも見つけています。
しかし、自力でこんなことやったことないので戸惑いの方が多いようです。めんどくさいが先に立つようです。
メールでワイフに聞きながらの毎日です。
しかし、とても幸せなのは文句を言うヤツがだれもいないということ。
とにかく自力では何もできない自分を発見し、驚きと同時にいままでを感謝せざるを得ません。
といっている矢先 定期検査の結果、また本日再度入院。
黙っていても病院では食事は出てきますし、優れた看護師さん達が気を使ってくれます。
これで多少楽になりました。
ですから一人で家で生活しているよりよほど楽です。
わたくしはどうしてこうも人に頼ってでないとやっていられないのでしょうか。
現場では北村恭子・佐藤純子・そうして鷲見樹里加に頼り、自宅ではワイフにたより・・・
過去を振り返ってみましても成人した後もすべてお袋に頼りっきりでやってきた自分を発見します。
いまこうして人生最終章をむかえて思うのです。
ここまできたからには最後まで人に頼りっきりで終わることにしようと思っています。
人は人のために生きるのでしょうが、わたくしは。自分勝手に生きてきましたし、自分勝手に死ぬことになるのでしょう。
少しでも人に頼られる人間でありたいと思うのですが、どうも無理のようです。
どうせ無理なら開き直って自力では何もできない、いままで通りの自分で済ませよう。
投稿者プロフィール
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1935年11月8日、東京都生まれ。1967年1月にライセンスNo.4の第1期生プロボウラーとしてデビューする。ボウリングインストラクターライセンスはマスター。プロボウリング協会創設メンバーでもあり、プロボウリング協会に貢献した人物。2014年4月逝去。株式会社スミ、初代代表取締役。
主な著作は、子供とボウリング(ぎょうせい出版)、ボウリング(ぎょうせい出版)、ボウリング(日本テレビ出版)、NBCJインストラクターマニュアル、ブランズウィック発行マニュアルなど多数。