小学校1・2年のころの夏でしたか祖母に連れられて相撲(国技館)だったか、新国劇の伯父貴の芝居(明治座)だったか忘れたけれど見に行ったのです。  
超満員の電車(当時は省線といいました)が渋谷駅に到着し、降りる段になって祖母とはぐれてしまいました。

人ごみに押し倒されようとした時、突然知らない女性に抱きすくめられ守ってもらった。
細身に着物が似合う美しい女性でした。このとき抱きしめられ保護を受けたときの女性の感覚、感触はまさにそれまで経験したことのない甘美なものでした。  

祖母は下駄のハナオが切れて少し離れたところで一心に直していました。
直るまでその知らない女性は少年のわたくしを守るように抱いてくれていたのです。
後ろから抱きかかえられたり、アタマを女性のおなかにつけて抱かれたりしたような気がします。
生まれて初めてオンナを感じ意識させられた甘美な瞬間でした。

信じられないけれどそのときの感覚がその後の女性に対する好みにつながり、いまだに後を引いているような気がしています。  わたくしの女性の好みとしては背はわたくしを越えない程度に高く、細身であること。胸が大きい人はダメですね。洗練されていて品格があること。上品であること。
ささやかなわたくしの女性遍歴の原点はこのときの女性だったと思うのです。  

わたくしは可愛い女性はダメです、可愛くみえる女性は100%カマトトですね。
何よりもわたくしは品格に惹かれるような気がしています。品格に性を感じるのです。

本来品格は性を感じさせないところにあるのかも知れませんが、わたくしは品格の中にこそ性を読み取るのだと思います。ここに性の深淵さがあり、つきない興味が芽生え、だからこそいつまでも性を感じていたい。
現在のガキタレにはまったく興味がありません。名前もだれ1人として知らないし興味もない。  

性と食、このふたつの快楽は我が人生で何よりも勝るものでした。振り返りますと色々と思い出されます。  

食で元っこにあるのは煮こごりだったような気がします。
自ら包丁を持って調理していた明治生まれの祖父の煮こごりのおいしさはいまだにかすかに記憶に絡みます。
そうして鱚の天ぷらだったのかも知れません。

道楽者だった祖父は、金杉橋に船を所有、家族が海坊主と呼んでいた船頭を専属に抱えていました。
船の上で揚げて食べた鱚の天ぷらが美味の出発点だった。
投網や釣りで江戸前のサカナを捕り、鴨を撃ち朝から夕暮れまで天ぷらや刺身を食べながら過ごしたものでした。

こんな贅沢はいまやだれにもできない。水がきれいでした。
コンクリートなんかありませんでした。信じられますか金杉橋周辺で鴨を撃ったり投網したりなんて。  

鱚の天ぷらは戦後すぐに規制をくぐり、祖父が隠し持っていた食用油で久しぶりに揚げて食べたところ、その古い油に当たって家族全員討ち死にしました。
1週間は全員寝込んだ。それ以来わたくしは鱚から遠ざかった。  

祖父は麻布拾番で1番大きな眼鏡屋を営んでいたそうです。
銀座という町が出現する以前は麻布拾番が東京で、つまり日本で1番の繁華街であり人気の町だったとのこと。
いまでも古さと新しさが調和していい町です。

ボウリング大好き人間が経営する焼き肉の名店 ‘せいこう園’は杉本勝子御用達の店で美味しいこと請け合い。  

さて、煮こごりがあり、鱚天があり、そうして堅焼きそばの‘ちくてい’があり、赤坂の天ぷら屋‘はなむら’では蛤やアワビの季節もの。
蕎麦は‘赤坂砂場’ここのお酒の肴は全て美味しかった。
揚げ物が‘上野ぽんた’小柱のフライはどのようにしてあげるのだろうか。
鮨は‘鮨文’穴子のおいしさを教えられた。

ステーキが‘三久’ステーキもさることながらガーリックライスが素晴らしかった。
皿うどんの‘長崎’太麺がいい、それとデザートのお餅。パスタはその火付け役代々木八幡の‘壁の穴’でした。
そうして並木橋の‘小川軒’牛刺しとコンソメ、ミニッツステーキは最上級。
フレンチは四の橋の‘白い皿’。ここの6千円のディナーは価値がありました。
焼き肉は青山第1神宮。こんなお店がわたくしの味覚をはぐくんでくれたような気がしています。

名古屋の鮨屋はまだよく知らないけれど、‘おけい鮨’がいい。
鮨はご飯に生のサカナを乗せるんじゃない。そんなのは刺身ご飯で鮨ではないと思います。
全てのネタに心遣いがあり手が入っているものだと思います。ここは奨太も大フアン。

これからもできたら美味しいお店をまわりたいですね。そうしてもっともっとステキな女性とふれ合いたいですね。
つまり人生最大の興味は性と食。これにつきます。 さあオレもこれからだ。

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投稿者プロフィール

すみ光保
すみ光保
1935年11月8日、東京都生まれ。1967年1月にライセンスNo.4の第1期生プロボウラーとしてデビューする。ボウリングインストラクターライセンスはマスター。プロボウリング協会創設メンバーでもあり、プロボウリング協会に貢献した人物。2014年4月逝去。株式会社スミ、初代代表取締役。

主な著作は、子供とボウリング(ぎょうせい出版)、ボウリング(ぎょうせい出版)、ボウリング(日本テレビ出版)、NBCJインストラクターマニュアル、ブランズウィック発行マニュアルなど多数。