先月の原稿は約2年前に書いた「美味礼賛」という原稿とダブっていました。ごめんなさい。
今回それにまったく気づかずの原稿でしたが、不思議なことに言葉の使い方や表現は2年前とほぼ同じ、やはり同じ人間が書くことですから同じになるのでしょうか。
それにしてもこれほど言葉遣いも表現も同じようだとはたとえ本人でも驚きです。
まずは皆さまにご迷惑をお詫びしなければなりません。
わたくしが人間としてもし誇れるところがあるとすれば、《いい加減でありズボラである》というところでしょう。
これは1級品。いい加減に生きる、
これが人間にとって最も大切なポイントのひとつだと思っています。
だって好き好んでこの世に生まれたわけでなくわたくしは気がついたら居たわけです。
ですから生きる目的や役割、本質があってこの世に出現したわけじゃないと思うのです。
“実存は本質に先行する”(サルトル)です。
ですからかわたくしはあらゆる宗教を信じません。
しかも世界の歴史はほとんどが宗教上の争いに終始してきた感があります。宗教が戦争の元っこをつくってきている。
わたくしが目が向くのは快楽ですね。やりたいことやって楽しく生きていければそれが1番です。
しかし、人間の多様性、人は様々だということを大前提にです。できる範囲内で極楽蜻蛉でいたいと思ってきました。
そんないい加減男ですが、絶対に約束は守るという鉄則はもっているつもりです。 矛盾。
ですから仕事に関しては真面目の筈ですが、これらの原稿を書くに当たり、過去の文章をチェックするなんて面倒なことは一切してきませんでした。
だいたいテメエが書いたものを再読するなんてこれほど退屈なことはない。
めんどくさがり屋にはできない。そんないい加減さが皆さまにご迷惑をおかけしてしまいました。
きっとこれからもあると思いますがひとつよろしく。あればいいと思うのですが。まずはお許しの程を。
いま、すでに2ヶ月以上になる病院食に悩まされています。とにかくまずい。
医者はあなたの病気に合わせて料理しているのですから無理してでも食べて下さいという。
家族も同じことを言う。
しかし、1日1回は病院内のレストランに隠れて行く。
まずいものを我慢して食べて1年長生きするのだったら、好きなものを食べて半年の命の方がよほど幸せです。
これこそいい加減というか極楽蜻蛉の一環でもあると思います。
イヤ違いますね生き方の問題、価値観の問題です。
しかしわたくしは入院生活大好きです。好きなとき寝て、好きな本やテレビ見て、たまにこうしてパソコンいじって、医者や家族の目を盗んで院内だけですが好きなものを食べて少しも退屈はしないどころか楽しい。
問題があるとすればやりたい仕事ができないということぐらいでしょうか。
極楽蜻蛉としては病院生活は最高の環境です。
あとは医者や看護師の目を盗んで好きなとき外出できれば御の字なのですが。
今回は残念ながら結論がでるまで約3ヶ月かかるといわれています。結論とは何か。
治るか死ぬかの結論です。わたくしもようやくここまできました。
そりゃ身体が元に戻ってまた好きなものを食べたいけれどこればかりは分からない。だとすれば他の目を盗んででもやりたいことをできる範囲内で、極楽蜻蛉としてやるしかありません。極楽蜻蛉は空徒空拳なのです。
さて今回のわたくしの病気は病名を聞いてもよく分からないのですが、平たくいえば血液の癌だということらしい。
何故そんな病気になってしまったのか知らないけれど、人間必ず死ぬんですから、別に問題はないのですが、できれば苦しみたくないし、痛い思いをしたくない。
ところがこの1ヶ月間苦しく痛い検査ずくめです。
たまったモンじゃないのだけれど、そこは清廉潔白な極楽蜻蛉、辛い検査もおもしろがってやろうッてんで受けてたってきた。
しかしこんなことは経験しないで済めばそれに越したことはないのです。
ですから皆さんタバコだけは早くおやめなさい。
振り返ると子供の時からここまで痛い思いや病気ずくめでした。
2歳の時金平糖のセルロイドの空刀を火鉢に突っ込み発火、右手大やけど。
3歳で熱湯を左手にかけてやけど。それらの跡はいまだに残っている。
小3の時疎開先のヘボ歯医者で抜歯、その跡からばい菌が入り骨膜炎。
手術後も熱が下がらず再チェック。骨髄炎とのことで再手術。おかげであごに十字の傷跡。
小6の時肺結核。家作を1軒売り飛ばし当時出現したばかりのパスとストレストマイシンでどうにか乗り越える。
中3の時腎臓で無塩食に泣かせられました。
これこたえは堪えました。
その後どうにか健康を取り戻したものの、喫煙がたたって50歳代に間質性肺炎で入院。
薬害性アレルギーで入院。
多発性血管炎という国の難病指定の膠原病にも冒される。
膠原病の治療のステロイドの副作用で、関係なかった糖尿、大動脈瘤、腎臓。
全てステロイドの副作用です。
そうして今回の血液の病。
その度の検査が辛いのだけれど極楽蜻蛉としては全部楽しんじゃおうと思っています。
しかし早く皆さまのボウリングを後ろに座って見ていたいし、スタッフのみんなの顔を見ていたいのが本音ですね。
またお会いできるかどうか分かりませんが、お互い根性入れて残りの人生楽しみましょう。
投稿者プロフィール
-
1935年11月8日、東京都生まれ。1967年1月にライセンスNo.4の第1期生プロボウラーとしてデビューする。ボウリングインストラクターライセンスはマスター。プロボウリング協会創設メンバーでもあり、プロボウリング協会に貢献した人物。2014年4月逝去。株式会社スミ、初代代表取締役。
主な著作は、子供とボウリング(ぎょうせい出版)、ボウリング(ぎょうせい出版)、ボウリング(日本テレビ出版)、NBCJインストラクターマニュアル、ブランズウィック発行マニュアルなど多数。