“オレはテレビ大好き人間だ”と告白するのが軽薄のような気がして今まで恥ずかしかった。
先般逝去された尊敬する哲学者であり詩人の吉本隆明(吉本バナナの父親と言った方がわかりやすい)がテレビ大好きと公言しているのを知って安心したというのか勇気づけられたというのか、人間常に正直であるべきというのか、何に対しても胸襟を開くべきというのか、自分の知性欠落を堂々とひけらかすというのか、いずれにせよ人生ここまできたのだ恥ずかしくたっていいじゃねえか、あるがままの自分をさらけ出していこうと思ったのです。 いささかオーバーですね。  

66年安保闘争のときの支えは吉本だった。
吉本の著作はわたくしには難しすぎて今でもわからないのだけれど、どうもわたくしは自分にはわからない難しい理論や著作にひかれ憧れる傾向があるようです。ですから理解できない哲学書を読みたがるのかもしれません。  

わたくしが大好きなものにテレビとソファーがあり、いまやテレビを見ながらうたた寝をきめこむのは最高。
しかしながらテレビ番組にろくなものがないのは残念。従ってスポーツ番組か、ニュース番組。
それにヨーロッパ旅歩きだとかブックレビュー、映画(除く邦画)、クールジャパン、エルムンド、その他対談ぐらいだろうか。いまは野球を楽しむ時間があるのがいいですね。
サッカーはほぼ観ない。ゴールデンタイムは見たいモノがない。  
食い物番組はくだらないと思いながらも時々観てしまうのは卑しい所為(せい)なのかも知れない。
観るものが少ないのが残念ですね。
ですから最近のガキタレや笑えないお笑いタレントは全く解らないし、知りたくもない。知らないのを自慢にしています。  

朝、新聞のテレビ欄に観たい番組みにマーカーで印を付けるのが日課になっているが、印の数は少ない。
音楽番組はジャズが聴きたい観たいのだがジャズ番組は全くのゼロだ。演歌は嫌い。時々クラシック。  

それにしてもテレビはいいね。時々思う、役者やっていれば良かったのかもと。
しかし自分の出演しているドラマもきっと見る気がしないだろう。わたくしの時代は録画技術が無かった。  
刑事物のはしりNTVの「ダイヤル110番」、フジTVの丹波哲郎の「トップ屋」、同じフジTVで高松英夫の「刑事」。
などはしょっちゅう出演していたし主役級の役も何本かやった。
何故か悪役ばかりで、やくざ、殺人犯、暴力男などばかりだった。悪役のレッテルを貼られた。
しゃべりは滑舌が悪くダメな方だったけれど、何故かアテレコは主役を含めて沢山やったね。

ラジオでは美空ひばりや賠償千恵子などと1回だけだったけれど共演したのを思い出します。
ダイヤル110番といえばあるとき大山のぶよと共演。彼女をオートバイに乗せワンマン道路を飛ばす役だったけれど、何故か横転、2人で怪我をしたのを思い出す。

110番に佐藤カメラマンという方がいて、ボウリング大好きだったけれど、ある時取材でアフリカに2年間飛ばされた。
帰国後彼はつぶやいていた、なぜタマ転がしてピンなんか倒していたのだろうか? わからくもないですね。   
誰も聞いちゃいない古い話だ。年寄りの証拠だ。これでいいのだ。
 
社長の知り合いで有名人いますか、とスタッフに聞かれ考えてみました。
現在有名人で特別知り合いはいまいませんが、昔を思い出せば何人かはいる。  
若い頃、鈴木進という売れないシャンソン歌手と同じように売れない役者筈見純、宮崎という親友と3人で暇だからナンパでもしにいこうということになり、いろいろ歩き回った後池袋西武デパートに行き着いた。
化粧品売り場にいた女性に声をかけ3人を連れ出すことに成功。
宮崎が経営していたバーにみんなで行き飲んだり歌ったりして楽しく過ごしたのだけれど、そのなかの1人の井原という女性が何とも言えないハスキーで素敵な声の持ち主だった。
売れない歌手の鈴木進が彼女にいっぺんに惚れ込んで、それから毎晩そのバーでレッスンが始まる。
その後横浜のナイトクラブで歌ってたけれど、気がついたとき彼女は青江美奈という名前で週刊現代の表紙を飾り、いきなり売りだした。これにはびっくりしましたね。原宿や柿の木坂の美奈の家でよく麻雀したり遊んだものでした。
美奈はもういませんが、鈴木は美奈と結婚しいまでも彼女の面影を抱きながら熱海に暮らしている。
演歌は嫌いだけれど青江美奈は芸能人ズレしない最高の人だった。
もともと美奈は鈴木の影響もあってラテンやシャンソンが本筋だったのだけれど・・・

藤村俊二、キョンキョンと言うらしいけれど、彼とは10代の頃親友として一緒に芝居の勉強をしたり、遊んだりしたものです。女のことで対立し決闘までいったのですが、その後藤村は成功し、青山でワインバーも開設。
わたくしの娘が時々顔を出しているようだ。  

岩下志麻が売り出した頃、彼女はわたくしと同じ俳協というプロダクションに所属、時々お茶を飲んだりした。
凄い女優だ。彼女の演技力には圧倒された。志麻の父上も劇団民芸の渋い俳優だった。
志麻はわたくしをきっと覚えてはいないだろう。  
キンキンこと愛川欽也は元は新劇出身の俳優でテレビで時々共演したりした。やくざの兄弟分役が多かったね。  
NHK人気番組事件記者の番長役、高木淳一は同じ七曜会という劇団の先輩でかわいがってもらったのを思い出す。

小松方正先輩にもよくしてもらった。二人とももういない。  

声優では多くの友人がいた。
故小林恭二、小林清、納屋吾郎、羽佐間道夫、中村正、来宮良子、毒蝮三太夫、4月9日なくなった青野武は肝付兼太と共に芝居を学んだ仲間だった。名前を知らなくても声を聞けば知っている人ばかりでしょう。  

ボウリングで知り合った有名人には、一龍齋貞宝、三遊亭金馬。平尾昌晃。平尾は特にボウリングが大好き人間で高田誠とダブルスを組んで楽しんでいた時代があった。

先日新幹線で一緒になったが声はかけなかった。 こうして振り返ってみるとすでに時代は違うね。

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投稿者プロフィール

すみ光保
すみ光保
1935年11月8日、東京都生まれ。1967年1月にライセンスNo.4の第1期生プロボウラーとしてデビューする。ボウリングインストラクターライセンスはマスター。プロボウリング協会創設メンバーでもあり、プロボウリング協会に貢献した人物。2014年4月逝去。株式会社スミ、初代代表取締役。

主な著作は、子供とボウリング(ぎょうせい出版)、ボウリング(ぎょうせい出版)、ボウリング(日本テレビ出版)、NBCJインストラクターマニュアル、ブランズウィック発行マニュアルなど多数。