わたくしは驚いているのですが、みな様は決して驚いてはいけません。

 昨日、本山の駅地下から5階の本山ボウル迄のエレベータの中で、見ず知らずのおばさまに「わーカッコいい方ですね!!」と声をかけられたのであります。  

こんなことは75年以上生きてきて初めての体験。
しかも40から50代のそのおばさまはかなり素敵な方でした。  

ネ、驚くでしょう? イヤ驚いてはいけないのだ。わたくしはカッコよかったのだから。  

ジョルジオの紺のシルクのシャツ、エンポリオの白のジャケット、ヴィトンのジーンズにヴィトンのスニーカー。というわたくしにしてはとても珍しくブランドずくめのいでたちだった。
ブランドづくしだったからカッコいいと言われたのではないと信じている。

いまやブランドはカッコ悪いとわたくしは思う。  足がひょろついていても、顔がむくんでいたにも関わらずそのときのワレはカッコよかったのである。  

懐が多少豊かな約15年以前ぐらいまで、ながいことブランドにのめり込んだときがあった。

着るものは第1番目にジョルジオ、第2にエンポリオ、第3にギャルソン。
そしてヨージヤマモト。  ジョルジオはいまでも大好きだけれど、縫製が悪いのと高価すぎるのが欠点ですね。買えませんね今や。
現在着るものはほとんどが15年以上昔のモノばかりで、この約15年間は衣服の購入はほとんどゼロだ。わたくしはおしゃれではない。  

さてさておしゃれとは何だろうか? モードってどのようなものなのだろうか?
カッコいいってどういうことなのだろうか?  

これはとても難しい問題なのだけれど、5~6年前に鷲田清一著「モードの迷宮」という名著に出会った。 鷲田清一という人は哲学者で現在大阪大学の学長を務められている。ちょうどいま「哲学個人授業」という鷲田の本を読んでいるところだけれど、本好きの方、モードに興味ある方は「モードの迷宮」は最高にお勧めだ。  

「隠蔽しながら強調する。誘惑しながら拒絶する。保護しながら破損する。といったたがいに背反する運動、対立するべクトルが、衣服の構造のなかでしのぎを削っている。
衣服の構造は両義的なものであって・・・」  いってみれば「隠そうとしてしていながら見せ、見せようとしながら隠す」ということにつながる。
鋭いね。  

これはこの本の帯のメッセージだ。  
単純に言えば、わたくしはオシャレを「品格」と位置づける。
品格は流行(はやり)言葉になってしまっているが、わたくしはオシャレにとって品格が1番重要な要素だと思っている。品格は清潔がベースでなければならない。

オシャレにおける品格や品位は様々な要素から成り立っているように思う。  
清潔といったが、例えば格好良さは姿勢や歩き方に顕著に現れる。
概して日本人はわたくしを含めそこに大きな問題があるように思う。背筋を伸ばして腰から歩いている人の少ないこと。とにかくわれわれは歩き方が汚いし、下手だ。

街を歩いている人を観察してるとすぐにわかる。モデル教育のインストラクターでもある、クリスティーヌ・マチーンにどれほど注意されてきたか。
着るものも大切だが、まずはここのところを押さえておく必要があろう。

まさにわれわれは歩き方、姿勢が全くなっていないのだ。

ボウリングをやる人は概して姿勢や歩き方がいいのだが、そこを更に意識していくことによりますますステキになるのではないのだろうか。
心持ち幅広歩きが概してカッコいい。

ご希望があればクリスティーヌを呼んで「歩き方orカッコヨクなるための教室」でもやりましょうか? 

品格について少し言えば電車内で携帯をいじっている人、化粧をしている人、ましてやモノを食べている人、他人への配慮が欠けている人、品格ゼロだ。  
そしていまやこれ見よがしにブランドバックなどを下げて歩いている人、これもまたダサイ時代になっている・・・    

さて、プロで1番後輩に当たる弊社専属の川添奨太はいろいろな先輩に、「髪が長すぎるから切れ」「ユニホームは毎日替えてこい」「ズボンにはプレスを」「・・・・・・・」

挙げ句の果てに「もっと痩せろ」など試合に行くたびに言われるとのことだ。
東海支部では全員おそろいのブレザーにネクタイと聞いた。  

組織に属している限り、その組織の決めたことは守るのが原則と思う。
しかしそれ以外は個人の価値観や、趣味性、考え方によるものと思うのだが、これも難しい。
組織の決めも“古い価値観人種”が集まって決めて欲しくない。親分の趣味性で決めて欲しくない。
軍国主義的価値観で決めて欲しくない。先見性、現代性、ユニーク性、おしゃれ感覚、ヘテロジニアス感覚、などで決めたい。

しかも常に流動的にとらえていって欲しいのだ。がしかし、現実は真逆だ。
決める人の裏付けがあまりにも貧弱すぎる。  

わたくしに言わせれば、Tシャツはダメとか、ジーンズは禁止というのは「おまえは鼻が低いからもっと高くしてこい」というのと同じぐらいバカげていると思うが・・・  Tシャツやジーンズが似合うか否かは、見る人の価値感や趣味性や人生観などにより大きく異なってくる。

こうした感覚はほんの僅かでも少し先をいった価値観の持ち主がまとめて欲しい。

そのためにはその道の専門家を導入すべきだろう。昨年サングラスで試合に臨んだピート・ウエーバーはカッコ良かった。とわたくしは思う。  

いずれにせよおしゃれはその人の人生観を表すのだ。  

MLBのヤンキースは昔から、長髪や髭の選手はいなかった。
きっとチームとして規制しているのだろう。少し前のレッドソックスは髪ぼうぼう、髭伸び放題とひどかった。わたしなどはこの対比が見ていて面白かったし、レッドソックスに親しみを感じた。  

最近後ろ首や腕にタツゥーを入れている選手がいるけれど、わたくしの趣味性から言えば嫌いだ。
しかし、好きな人もいるのだから否定しない。

そうした多様性を受け入れることが重要なのであって、個人的価値観でああのこうのと言うべきではないと思うのだがいかがなものか。   

多くの人は自分はおしゃれだと思っているようだ。そこそこカッコいいと思っているようだ。

ここが始末に負えないというか難しいところ。  オシャレは冒険だとも思う。

思い切って試してみるか?  
カッコよくなりたいものだ。爺婆でカッコイイ人は少ないですね。      

そういえば帰りの地下鉄で、隣の6~70代のオヤジに聞かれた。

「失礼ですが戦争体験おありですよね」

なんだこりゃ・・・     オレはそんなに老けていたのか???

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投稿者プロフィール

すみ光保
すみ光保
1935年11月8日、東京都生まれ。1967年1月にライセンスNo.4の第1期生プロボウラーとしてデビューする。ボウリングインストラクターライセンスはマスター。プロボウリング協会創設メンバーでもあり、プロボウリング協会に貢献した人物。2014年4月逝去。株式会社スミ、初代代表取締役。

主な著作は、子供とボウリング(ぎょうせい出版)、ボウリング(ぎょうせい出版)、ボウリング(日本テレビ出版)、NBCJインストラクターマニュアル、ブランズウィック発行マニュアルなど多数。