衝撃 驚愕 仰天 快挙 奇跡 度肝を抜く 史上初 歴史的 不滅的 ぶったまげ おったまげ 前代未聞・・・   

昨年11月のジャパンオープンでの川添奨太の初タイトルだ!! 
そして12月の全日本タイトルと3冠王獲得だ!!

 なんと表現したらいいのかわからないけれど、いずれにせよ我が川添奨太の初タイトルは衝撃的だった。2連続パーフェクトで優勝とは・・・そして2連続タイトル。
(注:300を評価はするけれどわたくしはそれに大きな重きを置かない。レーンコンディションとの相互関係があるからだ。従って試合に於いて優勝賞金よりTVパーフェクトの方が額が大きいというのはどうかと思っている。)  
更にポイント・賞金・AVGの3冠王とは・・・  

無論奨太の将来を見越していたし、タイトルは近々取ると期待していたし、やってくれると思っていたからこそ契約したのだけれど、それにしてもこんな衝撃的なデビューとは。  

はじめ社内では奨太に対し、現場の仕事をおろそかにして試合に出るのは困るとの見方が大半であったけれど、わたくしとしてはトーナメントプロとしての可能性を前提にした契約だった。それを現場に理解して貰うのが大変だった。しかし、結果はごらんの通り。わたくしも鼻高々であります。  問題はこれからです。

PBAで勝つこと。世界でトップになること。PBAに通用するただ一人のプロと有元コーチと共に言ってきたのですから。

さてさてさて。 話は変わり、わたくし個人の昨年を振り返りますと最悪の1年でした。
薬の副作用で病気のデパートになり果てて・・・目が見えなくなっての疎外感にさいなまされて・・・

「顕微鏡的多発性血管炎」と診断され、それがどんな病気かいまだによく分かりませんが国の難病指定だという。
それまで元気一杯だったのに急に3ヶ月の入院を余儀なくされ、その治療のための薬の副作用で・解離性大動脈瘤・高血圧・糖尿・眼が見えなくなる・味覚音痴・顔がむくみ人相が変わる・筋力ダウン・バランス崩し・前腕部内出血斑点・息切れ・目まい・その他いろいろ。

今まで縁の無かった病や症状が急に押しかけてきた。 その上15年前からの持病である間質性肺炎だ。たまったものではありません。副作用で死にそうでした。

医者も言うのです副作用で死ぬ人もいると。過去形ではなく今でも死にそうです。
3ヶ月の入院を余儀なくされた後、何度も入退院を繰り返し、そのための治療薬で人生が変わってしまいました。

特に堪えがたいのが、目が見えないのと人相が変わってしまったことでしょうか。
これは堪(こたえ)えました。一人だけ取り残されていく疎外感、孤立感。
それは現在でも引きずっているのですが。

自分自身への怒り。そして自分以外への怒りもデカい。
全てが敵に見えてしまう。温厚きわまりないわたくしが全てに喧嘩腰になってしまう。
好きな名古屋にも喧嘩を売り、地下鉄に乗れば乗客に喧嘩を売りたくなる。

特にJPBA。会社では無論のことだ。お笑い芸人にはいままでも見向きもしないけれどたまたま見ると腹ただしい。最近のガキタレも同様。ほとんど全てのことに怒っていた。
大根役者海老蔵にも腹が立つ。目だけをギョロつかせればそれでいいというような演技。 イケメン 二枚目 イイ男 色男 渋いヤツ? などと自負していたのに??? 
見るも無惨なむくんだ顔になり、出腹、ひょろつき、等等等さんざんである。自分に腹立たしい。
死者の最前列に身を置いた自分を自覚して、次はオレの番だという覚悟をそれなりにもっていました。
しかし驚いたことに昨年3月平川周11月石川雅章、安武民祐、保倉義孝が続いて逝ってしまった。 オレを追い抜いて・・・  

人生そろそろ振り返らねばならないのでしょうが、わたくしの人生振り返るに値しない。
人生悔い無し、と言いたいところだけれど、わたくしの場合は悔いだらけ。
その悔いを箇条書きしてみると何冊もの本が書ける。心残りのことだらけだ。やり残したことだらけだ。  

4回目の結婚もしたかった。JPBAを何とかしたかった。JBPを軌道に乗せたかった。(株)スミを立て直したかった。プロコーチングを根づかせたかった。
業界を復興させたかった。もう一度芝居もやりたかった。旅行ももっとしたかった。
本も読みたいし、絵も描きたいし見たい。映画も芝居もバレーもジャズもその他やりたいこと観たいこといっぱいだ。そして美味いものをもっともっと食いたかった。
家族との交流ももっともっと密度の濃いものにしたかった。
みんなにイイ思いをさせたかった。そしてお客さまやフアンのみな様にもっと喜んでいただきたかった。
そして川添がPBAチャンプになるところを見届けたい。

すなわち悔恨だらけの人生だった。 遺書ではない。新年を迎えての抱負を語りたいのだ。
つまりこれらの悔いを裏返しさせるのがこれからの自分でありたい。
我が人生の最終章を迎えるに当たっての抱負なのだ。  
辺見庸ではないけれど、“ここに在ることの恥”、恥辱。残り人生をひっくり返すのは不可能だけれど、辺見同様偽善と背理のにおいを自分のなかにみて、いまわたくしは後悔しきり。
そしてこれまた辺見同様自分の呆れるばかりの耐性のなさと脆さ、経済成果を追い求めること中心の恥辱。
なのにここにきて我が懐生涯最悪の状態、これもみな自分の判断ミスによる。
しかし学ぶこともたくさんありました。こんなことに遅ればせながら多少でも気がつき始めたと言うことです。
でも美味いもの食いたいし、もっと好きなことやりたい。

さて、新年にあたり抱負。いい加減なわたくしとしてはそんなものは無いのです。
残りをただ楽しく暮らせればそれでいい。できれば美味いもの好きなものを食いたい。
しかし、カロリー制限がある、塩分制限がある。特にふところ制限がある。
寿命を縮めたって美味いものを食いたい。ここが同居人と対立する最大の争点。
いかにすべきか? 条件はみんなで楽しくだ。みんなというのはウチのスタッフとであり、お客様とであり、友人とであり、家族とであり・・・  
自室にいればソファーに寝転び読書かテレビ。現場では自分のデスクでパソコンか、
ボウラーズベンチに座ってLTBリーグ観察だ。まさに入院時と同じ状態だ。

 そうだ自分ももう1度投げようと思いシャドウボウリングですっ転び、お客様と、スタッフに助けられる始末だ。情けないったらありゃしない。 しかしこれが現実だ。これを受け入れ残りを楽しくやっていこう。
気持ちは元気、体調がついて行かないということに大きなギャップがあるけれど。  

お世話になった業界に少しでも恩返しがしたい。できることといったらやはり自分の専門分野。LTBであり、リーグ、インストラクション、接客などの指導ぐらいだろう。
本年1年ぐらいほぼ経費のみのボランティアでやろう。命があればだが。

ご希望がありましたらご連絡ください。 最後の仕事として、あなたのセンターにLTBとリーグを根付かせます。  本年もどうぞよろしく。

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投稿者プロフィール

すみ光保
すみ光保
1935年11月8日、東京都生まれ。1967年1月にライセンスNo.4の第1期生プロボウラーとしてデビューする。ボウリングインストラクターライセンスはマスター。プロボウリング協会創設メンバーでもあり、プロボウリング協会に貢献した人物。2014年4月逝去。株式会社スミ、初代代表取締役。

主な著作は、子供とボウリング(ぎょうせい出版)、ボウリング(ぎょうせい出版)、ボウリング(日本テレビ出版)、NBCJインストラクターマニュアル、ブランズウィック発行マニュアルなど多数。